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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 43

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 43

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/9/25 7:20
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 赤坂の空襲
 阿川 君子(あがわ きみこ)その2

 一夜明けて五月二十五日夜、またしても「B29の大編隊(この頃はこう言うようになっていた)京浜地区に向かいつつあり」というラジオの情報で空襲警報が発令された。

 学校の制服とワンピース等、いろいろ着込んでゲートルをつけ(都立第三は防空服にゲートルを巻いていた)、非常持出し袋と防空頭巾に武装する。親戚の大学生(杉山氏)と一緒に玄関の屋根に上り、空を眺める。

 一昨夜の続きのように東の空に花火のような焼夷弾が落ちるのが見えた。都立一中(日比谷高校)の建物の窓から赤い火が吹き出している。低空で頭上を通過するB29の不気味な爆音がきこえ、爆弾の落ちるカタカタ、ザーツという音がひびく。夜の闇は火をうつしてうす明るく、空も赤灰色に煙ってあたりが見えてくると、赤い火の粉が雪のように吹きつけて来始めた。庭の踪欄の木の毛にバツと炎があがる。老人子供は避難するようにとのことで祖母はお隣の方々といっしょに先に避難して行った。

 立ち木に燃え上がる火を何度か水で消しているうちに火の粉は流れるように激しく吹きつけて来始めた。「もう危ないから逃げましょう」 という隣組の人の声のあとは、人声も全くきこえない。ただ猛吹雪のように火の粉が吹きつけて来る。もう危ないからということで母と杉山さんと三人、防火用水の水を何度も頭からかぶった。大声で父を呼んだがなかなか出て来ない。父は空襲警報になると本尊様を須禰壇からお下ろしして、金銅仏と松平家のお位牌といっしょにうすいふとんで包んであった。仏様をお連れして避難するつもりだったが、とても持ち切れないからと、とっさに池にお入れして来たとのことであった。

 四人で一ツ木通りへ出て足は自然と赤坂見附方向に向かった。強制疎開で広くなっていた土橋お茶屋さんの横を通り、今のみすじ通りを横切り、苗村質店の所から見附方面をみると、煙と火の粉で見通しがきかず、カランカランと強風で空バケツがころがって来た。もう一本下の通りへ出て地下鉄のビルの横へ出る。地下鉄前の外濠通りは人がいっぱいで、宮様の塀の所に都電が二台とまっているのが見えた。あまり人のいる所は危ないように感じて弁慶橋の方へ渡ろうと思ったが、見附の広い交叉点は炎が荒れ狂っていた。角のみよし野喫茶店のあたりから、昔の絵巻物の絵を見るように紅蓮の炎が地を這って、交叉点の中程まで赤い舌をのばしていた。仕方なく永田町の方面へと桜並木の坂をのぼり小学校の角を曲がった。

 永田町小学校の横は煙と火の粉の乱舞で、ポッリボツリと黒い水が落ちて来た。雨かしら、雨なら火が消えて良いと思ったが、どうもこれは池だったらしい。母が「もう苦しいから先に行って」と言った。両脇から手を組んで速足にドイツ大使館の横を通って行った。右手にお邸の冠木門がうっすらと見え、たちこめる煙と火の彩る中を急いだ。

 右側に国会議事堂の外柵の竜舌蘭の見えるあたりまで来た。少しずつ目と鼻が楽になってくる。
警視庁の横まで来た時はやっと煙が薄れ、助かったと思った。祝田橋のお濠の角で本当に気が緩んで歩みもゆるんだ。昼か朝か夜かわからない不思議な明るさだった。遠くの火災のあかりが全天に反射していた。お濠の水を汲んで顔を洗おうと、バケツに紐を結んでおろしたが、手がずれてバケツはお濠の中に落ち込んでしまった。

 皇居の松並木はくろぐろとして空気も冷たく、やっと人心地がついた。松の根元に腰をおろし、
私はこれで万事落着と思ったが、父や母はいろいろな感慨があったに違いない。その時、皇居の
森の中に、宮殿の燃えさかる火の手が盛大に、しかし何の物音もなく望見された。赤や黄、水色、
金色、紫色、それこそ七色の炎が空に立ちのぼっていた。いろいろな貴重な建材や宝物が燃える
炎だったのだと思う。

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