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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 24

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 24

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/9/6 6:34
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 羅災の記
 島野 敬一郎(しまの けいいちろう)その3

 ここに到ってわが家の消火は不可能だと即断し、親子四人で互いに叫び声をあげながら、手をとりあい、濡れ蒲団を頭にかぶり逃げにかかったが、どこをどう通ってよいのか見当がつかない。戸外は一面に煙が立ちこめていて、眼からは涙がとめどなく出るし、呼吸すら満足にできなくなってきた。幸いなことに、裏の畑の中を数人の人たちが身体を丸めて明治神宮の方へ逃げていくのを、立ちこめる煙を通してわずかに確かめることができたので、彼らの後を追うことにした。畑の真ん中まで来たところで、雨露と降りそそぐ焼夷弾に遭遇した。私たちのまわり一面に火の雨が降りそそぎ、ブスブスと焼夷弾が地面に刺さっていく。上空を見上げると、焼夷弾の滓(かす)と思われる細かい火がバラバラと降ってきて、まるで火の粉の海の中にいるようだった。

 漸く原宿駅の前を通り神宮の入口まで辿りついて、少し落ち着くことができた。神宮の入口は、本来は暗くて淋しいはずなのであるが、周辺の火災の反映で真昼のように明るく映し出されており、そのうえ大火災から逃れてきた避難民でごった返していた。彼らは、ただ黙って不安な面持ちで脅えていた。

 あれほど幅の広い表参道には、ちょうど参道を南から北へ火勢が横断するような状態で火の波が押しよせていた。泣き叫ぶ子供を背負って逃げてくる母親や、自転車に運べる限りの家財を乗せてきた男の人、バケツを両手にぶら下げて放心して歩いてくるおかみさんなど、多くの人たちが境内に入ってきて、境内の土手に群がっていた。

 もう大丈夫だろうと、私は一人で原宿駅前の坂の上から東方を一望の下に見渡せる場所に立って見ると、穏田には残された家は一軒もなかった。広大な面積の一面に、真っ赤な狐火が静かに燃えているようで、とてもこの世では見出すことのできない美しい光景だった。まるで真っ暗な世界に、火の草花が一面に咲き競っているようで、私は思わず見とれて時の経つのを忘れたほどだった。気がついてみると、私のそばにはいつの間にか数人の人たちが集まってきていて、いずれも放心した態で眼前に展開されている情景を眺めていた。

 東京の夜間大空襲は、五月二十五日をもって最後となった。即ち、わが家は東京最後の空襲で羅災し、あえなく焼失してしまったということになる。

 (渋谷区穏田一丁目)

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