続 表参道が燃えた日 (抜粋) 27
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続 表参道が燃えた日 (抜粋) (編集者, 2011/8/14 16:11)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 2 (編集者, 2011/8/15 7:36)
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- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 50 (編集者, 2011/10/2 9:50)
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- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 54 (編集者, 2011/10/8 7:38)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 55 (編集者, 2011/10/9 6:57)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 56 (編集者, 2011/10/10 7:13)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 57 (編集者, 2011/10/11 7:45)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 58 (編集者, 2011/10/12 6:42)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 59 (編集者, 2011/10/13 6:59)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 60 (編集者, 2011/10/14 6:38)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 61 (編集者, 2011/10/15 7:37)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録 1 (編集者, 2011/10/16 9:46)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録2 (編集者, 2011/10/17 7:28)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録3 (編集者, 2011/10/18 7:01)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録4 (編集者, 2011/10/19 6:34)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録5 (編集者, 2011/10/20 7:21)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録6 (編集者, 2011/10/21 11:32)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録7 (編集者, 2011/10/22 7:49)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録8 (編集者, 2011/10/23 7:42)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録9 (編集者, 2011/10/24 6:46)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録10 (編集者, 2011/10/25 6:43)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録11 (編集者, 2011/10/26 7:07)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録12 (編集者, 2011/10/27 7:55)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録13 (編集者, 2011/10/28 7:26)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録14 (編集者, 2011/10/29 6:57)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 編集後記 (編集者, 2011/10/30 7:04)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
戦後六十五年 東京の記憶
斎藤 伊佐雄(さいとう いさお)
(写真は、明治神宮の「代々木」)
これは 「私の八十年史」 のうちの一部分である。
当時私は十五歳だった。高輪工業高校に在学していたが、校門をくぐったのは三回しかなく、勤労動員で鉄工所へ毎日通っていた。自宅は原宿の竹下通り(当時は竹下町といった)で静かな住宅街だった。隣組の組長さんから若い人がいないので手伝ってほしいと頼まれ、防火訓練に参加して、少しでもお国の為になるならばと頑張っていた。
それは五月二十五日の夜半の事だった。この頃になると頻繁に警報が鳴るので、夜はズボンをはいてゲートルを巻いて寝るのが当たり前になっていた。隣組の寄り合いの時、今度大空襲があれば山の手だろうと伝達があったので、私もいざという時の用意にリュックサックに当座必要な品々を詰め込んで枕元に置いて寝ることにしていた。
いつもの如く警戒警報発令と同時に飛び起きて、組長宅に走りラジオにしがみついて「東部軍管区情報」に耳を傾けていた。しばらくしてサイレンの音と共に空襲警報発令のアナウンスが飛び出してきた。組長と目を見合わせた私は通りに飛び出し、「空襲警報発令」 とメガホンで叫びながら走り回った。「今夜は大変なことになりそうだ」と組長は空を見上げながら私の肩に手を置いた。私は身の引き締まるのを感じた。防空壕の入り口に待機していると、聞き慣れた轟音が迫ってきた。いつもと違うのはB29の爆音が頭の真ん中に響いてくる。これは危ないと思い「待避・待避・待避」と連呼しながら防空壕に飛び込んだ。ラジオを膝に抱え込み、情報を聞きながら外の様子を伺った。青山の方の空は真っ赤だった。ヒユーン・ヒユーンの連続音と共にドッ・ドッ・ドッとたとえようのないような音が腹に響いてきた。
急いで防空壕を飛び出した私は我が家へ走った。店に飛び込んで目についた一発をどうやって消したか記憶にない。奥の居間に入ると二発、火を噴いている。こいつも消した。縁側の一発を火ばたきで庭の池に払い落とし、二階に駆け上がる。もう遅かった。火は襖を駆け登り、天井に届いている。もはやこれまでと急いで降りて、リュックを背負って表へ飛び出した。西側の原宿駅の方は火の手が上がっている。東へ走った祖母は、父は、と頭の中をかすめたのはほんの一瞬だった。組長宅の前まで来たとき、そこの娘さんと出会った。「さっ、こっちよ早く!」ぐいと手を引っぼられながら走った。南側の家並みから火が噴出している。二人は防火用水桶を見つけ出して、頭から何杯もの水をかぶり炎の遠い所へ飛び込んでいった。
明治通りへ出て火の手が上がっていない北へ走った。千駄ヶ谷の坂道を走っている時、B29の爆音が頭の真後ろからヒユーン…という焼夷弾の落下音が追いかけて来た。「危ない!」 とっさに足下に吹き飛ばされてきたトタン板を背中に背負い、二人は地面に平伏した。バリバリバリ…、ずしんと腹の底に響くような炸裂音に、思わず握り合った手に力が入った。遠のく爆音を確かめながら起き上がった私は思わずうなって絶句した。そこに地獄の美しさを見た。サーチライトに浮かび上がったB29の銀色の機体から紅く青くそして銀色に輝きながら首を振るようにして落ちてくる焼夷弾の群れ。まるで両国の打ち上げ花火のような、いや、それ以上の美しさだった。
ややあって、私たちは黙って歩き出した。足は自然に神宮の森に向かっていた。何を考えていたのか全然記憶にない。先ほどとは打って変わって静かだ。神官の森が助けてくれたのだろう。
やがて空がいくらか明るくなってきた。多分このあたりと見当をつけて神宮の森を東へ入り込み、土手を登り、山手線の線路越しに竹下町はと目を向ければ、そこは真っ黒な焼け跡だけが目に写った。はっきりとわかったのは駅の前の風呂屋の煙突と南側の松平邸の大木と、反対側の東郷神社の緑だけだった。あとは薄黒い煙が細々と立ち上っているだけだった。もちろん我が家など消えてしまった。全身の力が抜けていくような無力感に襲われた。
足を引き摺るようにして我が家の焼け跡に戻った私は、立ったまま呆然として涙も出なかった。
しばらくして祖母と父の元気な姿を見つけた私は、真っ黒な顔に涙を流して喜び合った。
(渋谷区竹下町)
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明治神宮の戦災
昭和二十年四月十三日深夜からの空襲で神官境内には一三〇〇発余の焼夷弾が落下、うち二〇〇発余は拝殿、本殿付近に集中し、拝殿、本殿は全焼した。
五月二十四日~二十六日の空襲では、旧御殿、貴賓館、付属禊場、勅使殿、斎館、社務所、隔雲亭(内苑内)、代々木(地名になったモミの大樹)等多くが被災し、戦災を免れたのは東西南北の神門と回廊の一部、宿衛舎および宝物殿のみであった。
二十一年五月仮社殿完成、三十三年十月、現在の本殿、拝殿等が完成した。