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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 41

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 41

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/9/23 8:36
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 山手大空襲
 石井 昭(いしい あきら)その2

 いつの間にか何人かの人達が一緒に逃げています。焼夷弾が直ぐ背後に落ちる度に女性の悲鳴が
上がります。
 その間行く人、すれ違う人の間で慌しく情報がやり取りされます。
 「そっちはどうですか」
 「まだ燃えていません」
 「では僕らはそっちに行きます」
 でもどっちが安全かなんて誰にも分りはしません。何処を如何逃げたのか私達は今の国連大学の辺りでしょうか。

 「梨本宮」(皇族)のお邸の門の前に辿り着きました。周りではまだあちこちで焼夷弾が爆音と共に青白い炎を炸裂させています。迫ってくる炎に追い立てられて私達は宮邸の中へと少しずつ入っていきました。もうこの時には宮邸の建物は炎を吹き上げる「おき」の状態になっていました。家の輪郭をした火の骨組みが次々に大きな音を立てては崩れ落ちる、至る所で青白い炎が燃え上がる、そのうちに物凄く巨大な炎の壁が私達の前に立ち上がりました。見上げるほどの炎の壁。一番恐ろしかった瞬間です。でも幸いにこの炎上から後、火勢は急速に衰えて行きました。その後、私達は宮邸の植え込みの間で身を休めました。林の間で炸裂していた青白い炎も段々下火になっていきます。

 宮邸の中で私自身全く欠落していた記憶があります。宮邸警護の兵隊さんが我々にバケツで水をたっぷりかっけてくれ、なるべく安全な凹地に誘導してくれたことです。どの時点であったことか、私は全く失念しており後日母の話で知ったのです。恐怖の余り記憶が欠落したのでしょうか。

 いつの間にか寝入っていて、夜明けに目が覚め、煙で泣きはらしたようになった眼で一面の焼け野原をわき目に瓦礫の我が家に帰りました。もうあちこちで亡くなった家族の方にトタン板を被せて茶毘に付していました。道端に遺体がトタン板を被せて置いてある、それを小さな女の子がこわごわめくって見て「きゃあ」と叫んで逃げる、親御さんが其れを叱っている、そんな姿も見ました。空襲を免れた神山の親戚の家に家族身一つで転がり込みましたが、戦後落ち着くまでには随分色々な所を転々としました。

 今考えますと、表参道に辿り着けず逃げ惑った路地。あそこですれ違った方々はどうなさったのでしょう。これから火の海になる方向に向かわれたのです。亡くなられた方も多かったのではないかとお察しします。又、我が家の消火が早く済み表参道に着いていたら、そこで命を落とされた大勢の方々と同じ事になっていたでしょう。亡くなった方々の尊いお命を代わりに頂いたのではないか、生かされているのではないか、近頃はそんな思いにも駆られます。

 冷厳な事実としてのあの大空襲の記憶を風化させない為に、出来る事は限られていますが精一杯努力をして行きたいと思います。

 影絵 石井 昭

 (渋谷区金王町)

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