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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 52

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 52

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/10/4 7:48
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 太平洋戦争と私
 依田 比沙子(よだ ひさこ)その3

 五月二十五日は、一昨日より少し早い時間にまたサイレンが鳴った。今夜は大編隊とのラジオの情報で、皆に危ない予感があったと思う。日頃から壕の中には必需品は入れてあったので早くからトタンをのせ土を多目にかけて避難する覚悟をした。引越して二ケ月足らずで日中は工場通いのため近所の地理不案内で心細くもあったが、母からは隣組の皆について行きなさいと云われた。空襲のサイレンが鳴りひびき、いつものように頭巾をかぶり救急袋を肩から斜めにかけて弟妹たちをせき立てて外へ出た。いつにない爆音のすごさに一度玄関にもどり、何を思ってか咄嵯にそこに家族の人数分束ねてあった傘をかついで外に飛び出し、純子の手を握り、洋子は正昭の手を引いて家の裏手の細い道の方へ出た。純子たちが仲よくしていた隣の渡辺緑ちゃん、茜ちゃん達と声をかけ合いながら目ざす先も解らず、ただ皆に遅れまいと付いていくのが精いっぱいだった。根津山を目ざしていたのだ。あとで知った事だが当時根津さんのお邸があり根津公園と云ったそうだ(現在の羽根木公園との事)。どの位歩いたのか、爆音に追い立てられるように声も出さずに自分の息使いと鼓動だけが聞こえるような瞬間があったように思う。

 根津山に時限爆弾が仕かけられていると戻ってくる人とが狭い道で右往左往している中、B29の編隊がどんどん増えて焼夷弾が落ちてくるのが見え、頭上で幾筋もの光になってヒユーツヒユーツと音をたてながら降ってきた。大声で「伏せなさい」と叫んで純子にかぶさるように身を伏せたが、地面に当たって炸裂して油脂が飛び散り忽ち一面火の海になった。すぐさま立ちあがりその火の上を飛ぶように走りぬける。洋子も正昭も私についてきてくれた。間もなく純子が「お姉ちゃん足がいたい」といった。火の海を渡ってきたので、てっきり火傷したと思い、かついでいた傘を洋子に渡し、救急袋を首から胸の前に下げて純子をおんぶして走った。すれちがう人の中には頭巾がくすぶっている人もいた。分厚く綿の入った頭巾は肩まで覆っているので自分の背中までは見えない。洋子に正昭の手をはなさないように注意し、四人の背中をお互いに確かめながら走り、純子の両足を手でさすってみた。片方は運動靴がない。「いたい?」と聞くと「ううん」と首を横に振って返事してくれた。もうその頃は一緒だった人ともちりぢりになって、どちらを向いて走っているのかわからないが人が行く方へと誘われるように入ったのが給水場だった。普段は入れない敷地だが、非常時で門があけてあったらしい。広い敷地で周囲は低い石垣の上に鉄柵がめぐらしてあり、内側は等間隔に高い木が植えてある。その生木が何本も上の方でメラメラ燃えている。その時ふっと三月十日の下町の空襲で明治座に逃げ込んだ人々が焼け死んだと聞いたのを思い出して、外へ出ようと引き返したが、すでに表裏とも門扉は閉められて外に出る事はできなかった。柵の外の火は見えなかったが空は真赤で煙はひどく、水筒でタオルをぬらして口を覆い中央の給水塔の下へ入った。暗くてよく解らなかったが 隙間のないぐらい大勢の人が身を寄せ合って腰をおろしていた。私達もその中に入れてもらい、純子を座らせてもう一度足を確かめた。靴下一枚になっていたが火傷はなかった。

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