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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 40

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 40

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/9/22 6:52
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 山手大空襲
 石井 昭(いしい あきら)その1


 


 当時、私達の家族は金王町に住んでいました。宮益坂を青山の方向に向かい、坂を上りきった所を右(北)に入った辺りでした。私は小学校五年生でしたが、三月末で都内の小学校は空襲激化の為休校になっており空き腹を抱えて家でごろごろしていました。勤労奉仕に狩り出されて、青山通りのお店や住宅を大勢で縄を掛けて引っ張り破壊して防火帯を作る「強制疎開」にも参加しました。

 五月二十五日の空襲の前、二十三日でしたか、もうこの夜の空襲では渋谷の百軒店までが焼かれ、高台にあった我が家から遠望すると真っ赤な炎が立ち昇りバリバリという物の焼ける音が聞こえました。ですから何となく空襲がすぐ身近に迫っていた事を感じていたと思います。二十五日、空襲警報が出て間もなく我が家の外の道路に何かが「ピシャ」と大きな音を立てて落ちました。長年タイ国に駐在し空襲慣れしていた父が「多分高射砲弾の断片が落ちたのだろう」と言いました。間もなく道路の向い側にあったベルツさんというドイツ人の家の前に焼夷弾が一発落ちました。近所に居た人達の叫び声やバケツの触れる音などが交錯し、あっという間に消火され、ほっとする間もなく今度は豪雨の様な音とともに本格的な焼夷弾の雨が降って来ました。

 我が家は二階建ての古い木造住宅だったので、焼夷弾は全て一階の床を貫通して床下で発火したのです。我が家の一帯に投下されたのは「テルミット焼夷弾」で、東京に投下されたもう一つの「油脂焼夷弾」よりやや小型で、落下着地すると青白い火花を出して燃え上がりやがて高熱を発します。しかし発火初期にはバケツ一杯の水で簡単に消せました。両親と私の三人で手分けして、家中そこかしこ床や畳に開いた小さな穴から青白い煙が吹き上がっているのを見つけては、バケツの水を注ぎいれて消火しました。庭に置いてあった防火用水の水の他、母は風呂場に落ちた焼夷弾を風呂桶の水で消したりもしました。焼夷弾の雨が一しきり止んだ所でああよかった全部消せたと辺りを見回しますと、ご近所の家はもう皆さんとっくに逃げてしまっていて、あたり一面火の海となり煙で視界も覚束ない状態です。

 この時でしたか轟音がして一機のB29が超低空に下りてきました。地上の炎を反射させて機体は真っ赤に輝き、機体に描かれた数字や操縦席の風防ガラスの格子までがはっきり見て取れました。また豪雨の様な音を立てて焼夷弾の雨が降ってきます。身を隠す術も無く如何していいか分からず只足踏みをするばかりでした。火を噴いているご近所の家を見ながらやっと我が家を脱出です。他の方々と同じく目指したのは表参道です。

 あそこなら広いし明治神宮にも行ける、何となくそう思っていたのでしょう。しかし、我が家の消火活動に時間を食った為にもう青山通りは火の海になっていて、到底表参道には辿り着けません。空襲警報が出ると都電が車庫を出て十メートルおきくらいに路上に分散して延焼を防ぎます。しかしじゅうたん爆撃はその程度の小細工は無視して何もかも焼いてしまいます。表参道を諦めた私達は煙を縫いながら宮益坂の頂上まで行ってみましたが、ここは煙の噴出し口となっていてその煙の中から黒い人影が逃げ出してきます。到底坂を降りて東横の方には行けません。顔のすぐ傍を昆虫の群れの様に無数の赤い火の粉が通り過ぎます。逃げ場所を求めてあちらの小路こちらの路地と闇雲に逃げました。後ろから私達を嘲(あざけ)るように焼夷弾の雨が追いかけてきます。

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