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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 44

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 44

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/9/26 7:37
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 赤坂の空襲
 阿川 君子(あがわ きみこ)その3

 夜が明けて(という感じ)赤坂にもどろうということになった。顔はひりひりするし眉毛や目は痛くてなかなか開けていられず、それでも逃げて来た道を戻って行った。永田町小学校の横あたりから、錫箔のひらひらしたものや、銀色のチューブ状をした焼夷弾のやけがらが散乱し、両側は赤茶けた焼け跡がくすぶっていた。赤坂見附を見下ろすと、一面に赤い瓦礫の平地となって、まだ余煙はくすぶり電線が落ちて足の踏み場もなく、見附のロータリーには虚空に手をさしのべた気の毒な黒い遺体があった。地下鉄の前には昨夜停車していた電車が黒こげの骨組みだけになっていた。地下鉄のビルの前にはやはり車台だけになった自動車の残骸が横たわり、そこここに気の毒な遺体が見えた。足もとのアスファルトはくろく溶けてまだ熱く、靴の底を通してやけるように熱いのでとぶようにして歩いた。

 一ツ木通りを行くと、御影石の門柱がポロポロにかけながらも残っていた。家の跡は赤い灰土と割れ瓦と、黒い炭のようになった木材の切れはしが雑然としてくすぶり、まだ熱かった。水道のあった所だけチョロチョロと水が出ていた。お風呂桶にいっぱいあった水が底から四分の一ぐらい残ってその部分だけ桶も焼け残っていた。お釜の中に昨夜といであったお米が炊き上がってこげていた。つみ重ねてあった本はそのままの形で灰になって、さわるとパサバサとくずれた。本堂は八間四面の土蔵造りで一尺以上ある欅の柱が何本もあったのだが跡形もなく、周囲の礎石を残すだけだった。

 四、五時間前までは青々とうっとうしいほど茂っていた庭木は跡形もなく、赤茶けた土と石の平面になっていた。一抱えほどある木も何本かあったけれど根元が僅かに残っているだけだった。池は焼けトタンや鯉の死骸が浮いた水たまりとなっていた。幸いなことに、緑色の唐草模様の風呂敷包みの焼け残りの中に、阿弥陀様のお首と両手首が焼けずに残っていらした。父がとっさに投げ入れた書類や研究資料を詰めた革のトランクがやけこげて浮いていた。

 別行動をとって先に避難していた祖母も幸い無事で庭石に腰かけて痛む目を拭いていた。祖母は赤坂区役所のあたりで同行の隣人とはぐれ、御所の空濠の中にかがんで飛んできたトタン板をかぶって難を避けていたそうである。区役所前の電車通りに沢山の焼夷弾がまるで大きなろうそくを立てたように火をふいていたという。

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