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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 28

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 28

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/9/10 8:15
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 渋谷区原宿二丁目
 赤坂区青山北町
      四丁目


















 空が赤く燃えた日
 栂野 春野(とがの はるの)






 昭和二十年三月十日、私は結婚式を挙げることになっていました。その日未明の下町大空襲で結婚式は延期され、地下室が完備されていると定評の三越本店に式場を変更して三月二十一日に式を挙げました。幸いにもその日は空襲がなく、式もとどこおりなく済み、原宿の新居に落ち着きました。一か月後、目白の実家が空襲で焼けました。そして忘れもしないのが五月二十四日、二十五日の連爆の目です。

 私、当年とって満八十六歳となりました。四十代のとき、原宿での体験について投稿しましたが (以下抜粋)、あのときの記憶は今でも鮮明に残っております。

 五月二十五日の日、前夜から一睡もしないでうとうととしていた。まさか今夜は、と思っていた夜半、警戒警報のサイレンにとび起き、つづいて鳴り響く空襲のサイレンとともに、敵機B29の爆音が頭上に響いてきた。庭先の防空壕に土をかけるひまもなく、主人とともに、母家の防空壕にかけ出した。

 バラバラと雨のように落ちてくる焼夷弾、ナニクソとバケツリレーで数発消したが、次から次へと落ちてくる爆弾に、みんなで防空壕に土をかけ、家族全員、はぐれないように手をにぎり合い、真っ暗になった路地を、風上へと逃げた。しかし、どうしても煙と火勢に押され、風上へは逃げられず、風下へ、風下へ、と逃げなければならなかった。

 この時、すぐ耳元で「男は逃げるんじゃない、残って消すんだ」。ふりむくと、防護団の制服、腕章をつけた人が居丈高になって叫んでいた。主人がその方に気を取られていた時、義父が「行くな、行くんじゃない」と強く言われた。その時残っていたら、恐らく主人と二度と会うことはできなかったと思う。路地から路地へ、どのくらい逃げ回ったことか、時間も方角もわからない。とある家の防火用水と書かれたコンクリートが目に入った。あったあった。水が一杯に、奇跡的に残っていた。みんなでお互いに身体中、頭からかけ合う。はいていたズック靴の中が、ジャポンジャポンと音がしていたこと、それも半時間後にはカサカサに乾き、口の中はシャリシャリとなり、身体中がバサバサに火勢で乾いてしまった。


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