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『肉声史』 戦争を語る (14)

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通常 『肉声史』 戦争を語る (14)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/8/16 7:23
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
「戦は人の性格を変えていく」

 三浦市 大井 作雄(大正11《1922》年生)

 (あらすじ)

 現役で志願した。戦争が始まってすぐだったし、横須賀の海軍工廠《こうしょう》にいたので、お国のためにと当たり前のように志願した。  
 17、8歳だった。当時6歳上の兄が兵隊へ行って戻ってきていたので、兄も「行って来い」といった。まず部隊に入って、東京に3ヶ月いて満州へ。昭和17年4月から翌年の2月まで満州で、その後旅順《りょじゅん=中国大連市の港湾都市》に約10ヶ月。それからハルピン《=中国黒龍江省の省都》に帰ってきて、大隊がロシアと満州の国境に行っていたので、すぐ追いかけて行った。私は歩兵部隊で、うちの中隊は小、中隊長とも士官候補生で第一線部隊だった。
 3月までそこにいて、またハルピンに帰って来て私は違う部隊に移った。昭和19年7月に宮古島《沖縄》へ。その後は宮古島の警備。フィリピンから沖縄作戦に変わる時、すごい数の敵機が来た。その合い間に艦砲射撃《=船に備えた大砲から撃つ》を受けた。それがイギリスの艦隊だった。
 戦場で亡くなった人は、艦砲射撃で撃たれた人か腸チフス等だと思う。天皇陛下の為に死ぬんだと言う気持ちだった。アメリカの船に乗って大島が見えた時、内地に帰って来たと嬉しかった。兵隊に行って感じることは、兵隊に行く前におとなしい人間は軍隊に行って悪くなる。逆に、行く前に悪い人間は行っておとなしくなる。極端な例だけど精神的にそうなるのかもしれない。辛いとか恐怖とか悲しいという気持ちはあまりなかった。お国のためにとそれだけだった。今でも天皇陛下のために死ぬ気持ちは多分に持っている。体を丈夫にして一生勉強。第一は健康だと思う。

(お話を聞いて)

 17歳で希望して戦地に出向いた大井さんのお話をうかがいました。 持参された軍隊手帳を何度も読み返し、非常に正確な時系列の中で熱い思いを聞かせて頂きました。
 満州や旅順、ロシアなど多彩な外地での体験談は、学校や教科書では教えてはくれないものであり、リアリティ一がありました。聞き手の私が、戦争の体験として恐ろしかったこと今辛かったことなどを尋ねると、大井さんは、別段何も無かったように話されました。
 すべては国のため、天皇のために行ったことであり、辛かったこと今悲しかったことは無いとおっしやっていました。その確固たる熱い信念に、私は正直驚いてしまいました。私はインタビュアーとして大井さんのお話しを聞きその感想や印象を書くことさえ、おこがましく感じてしまいました。
 大井さんは静かに、まるで他人事のように私に語ってくれました
さんも今の若者には様々なメッセージを送りたいとは思いますが、多くは語りませんでした。ただ健康で多くのことを若者には学んで欲しいと言っていたことが、非常に印象的でした。
                        
(聞き手 若月宏治 昭和48年生)

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編集者 (代理投稿)

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