『肉声史』 戦争を語る (48)
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編集者
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「山本五十六《やまもといそろく 注》出撃を見送る」
愛川町 井上 包雄(大正9《1920》年生)
昭和16《1941》年6月30日海兵団入団。乗っていた船「赤城」「武蔵」「さんとす丸」はいずれも沈んだ。海兵団は厳しかった。悪くなくてもビンタだった。「赤城」では艦首に直径20センチの主砲が6個あり、弾を込める任務についていた。約60キロ強の弾は下の倉庫から機械で上げてくる。参謀などにお茶を入れる雑用もやっていたので、南雲忠一中将とも話した。寝る時はハンモック。10月15日の横須賀海兵団卒業後、九州で訓練し赤城に乗り込んで、11月18日出港。
12月8日ハワイ作戦っそこで初めて日米戦争知った。ミッドウェー海戦ではもう敗戦だと感じていた。アメリカ艦隊はハワイにいると聞いていたが違った。
やられに行ったようなものだった。「赤城」が燃えたので味方の魚雷で沈めて、「陸奥」に移った。そこでも雑用をやっていたので、誰の責任だと内部でもめていたのを聞いた。負けたことがばれない様に、千葉の海軍航空隊に1カ月半監禁され、外出も許可されなかった。千葉から「武蔵」へ移った。戦艦だったので厳しさは覚悟していた。特攻隊が出て行くのも見た。昭和19年10月24日フィリピンで沈んだ時は、海へ放り出された。左へ傾いで沈んだ。そこへ弾が当たったんだと思う。集中攻撃だった。私は主砲に関係する任務だった。「武蔵」の弾は1トン半あった。
山本五十六長官が最期に飛行機で出て行くのをたまたま休憩で甲板から見送った。山本長官が亡くなってもしばらく正式な発表は無かった。「武蔵」が沈んでからは、マニラのコレヒドール島のアメリカ基地に監禁されていた。1カ月後、「さんとす丸」に乗り帰国途中台湾沖で沈んだ。助けてもらい、台湾の高雄で終戦を知った。翌年帰国。
(お話を聞いて)
話者の人柄であろうか。それとも大正世代の我慢強さなのだろうか。悲惨な戦争体験をされたにも関わらず、軍隊生活についての恨み辛みや愚痴はほとんど聞かれなかった。海軍伝統のしごきや私的制裁も受けたようだが、井上氏はそれを淡々と流す。
しかし、乗り組んだ艦船が次々と沈没。それを3度も体験したという話は驚きである。
戦後世代の我々にとっては、乗船が沈むなど、一生涯、体験することはないであろう。こうしたことをさらりと語られるだけに、戦争の恐怖がより一層際立っ。
太平洋戦争は昭和16年12月8日の真珠湾攻撃で始まったが、井上氏は、この場にも居合わせている。乗り組んでいた空母「赤城」はこのときの旗艦である。日米の形成が逆転する契機となったミッドウェーの敗戦も経験されている。その帰国途中の船の中で、将校たちが責任のなすりあいをやっていたとの話は衝撃的であった。「人は逆境の時こそ、その人の本当の姿が見える」というが、まさに、それを象徴するかのような逸話である。
「赤城」沈没後の井上氏は、世界最大の戦艦「武蔵」に乗り込み、主砲塔内に配置されていた。同艦がシブヤン海《=フィリッピン中央部にある小さな海域》に沈んだ時も、この現場にいたのである。その後、内地帰還のために乗り組んだ輸送艦「サントス丸」で三度目の沈没を経験している。
話者の体験は、日本海軍が開戦から終戦までたどった軌跡と一致しているかのようである。まさに歴史の生き証人といえよう。
ところで空母「赤城」の戦友会は、乗組員の高齢化により、既に解散したとのこと。戦後60年という時代の流れをここに感じる。
「乗っていた船が3度も沈んだ」。この言葉は、戦後世代が「戦争」について考える際、何よりの警鐘《けいしょう=危険の予告》となりそうである。
(聞き手 山口 研一 昭和34《1959》年生)
注 山本五十六=26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。
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編集者 (代理投稿)