『肉声史』 戦争を語る (41)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
(お話を聞いて①)
4人の方々に集まっていただき、戦争体験(主に内地での体験談)について語っていただき、フリートークという形でインタビューをさせていただきました。
みなさん多種多様な経験をお持ちになり、私がメディアを通じて得た戦争の知識は、前線で戦うことが主であったような気がします。私の祖父も前線で銃弾を受けた経験などがあり、生前話してくれていたので記憶に残っております。また、教育の場で学んだ内容も同じようだったと思います。今回伺ったお話は、私が学んできたものとは少し違った内容で身近なというか庶民(若い世代の方)の戦争体験であり、苦労されたお話や恐怖体験を聞くことが出来たように思います。
皆さんがそろって口にされていたことは、戦争で得たものは何もなく失ったものが大きすぎる、二度としてはならないものが戦争であるということです。今日、私達がこうして何不自由なく生活しているのは、戦争で犠牲になり亡くなった方やお国のために我慢をし、頑張ってこられた方々が根底にあるのではと感じます。また、戦後、先人達が衣食住に苦しみながら一生懸命に、戦後復興・厳しい労働条件などにも屈することなく企業を育て、経済大国になったのだと思います。こうした努力・犠牲・苦労(我慢)があるから今の日本があるのではないかと改めて強く感じました。戦争というものは、必ず後世に伝えていかなければならない、忘れてはならないことでしょう。
この経験を生かし、私も子供を持つ親なので、責任を持って伝えて生きたいと思います。
(聞き手 佐藤直美 昭和46《1971》年生)
(お話を聞いて②)
今回は皆さんご一緒にお話しを伺った。皆さんそれぞれいろいろな体験をしておられびっくりした。お話しを聞く中で一番印象に残ったのは、みなさんが当時十代の少年や少女で戦争にいろいろな形で参加していたことだった。そのころの教育は、今の私たちでは想像もできないものだったようだった。皆さんが口々に「お国の為」や「欲しがりません勝つまでは」ということを学校の先生から教わり、絶対に日本は勝つと信じていたのだとおっしゃっていた。空腹を我慢しながらの仕事や、米軍機による空襲を受け怯《おび》えながらもがんばってこれたのもこの教育のもとに国全体が一つになっていたからこそ出来たものだったようだ。
私も人のことを言えないが今の子供達は、戦争をまったく知らない。ゲーム感覚でバーチャル的に考えているのだと思う。戦闘機での爆撃や人を殺したりすることが現実にとらえられずにいる。戦争は遠い国の話だと思っていると思う。そんな子供達に日本が経験をした戦争や、みなさんが体験したことを伝えていかなければならないと思った。
戦争を終え犠牲になった人と、生きていることとは紙一重であるとおっしゃっていた。
十代でゼロ戦《注》に乗りミサイルを2つ搭載、そして米軍の軍艦を3艦沈没させたという話を聞き最初はどういうことかと思った。話を聞くうちに2艦はミサイルで、一艦はゼロ戦ごと自分がミサイルになって沈没させたことを聞きやるせない気持ちになった。
「戦争で犠牲になった多くの人たちの上に、現在の日本がある」そのことを忘れずにいかなければならない。
(聞き手 中島敦 昭和48《1973》年生)
注 ゼロ戦=零式艦上戦闘機の通称、太平洋戦争当時、日本海軍の主力戦闘機
4人の方々に集まっていただき、戦争体験(主に内地での体験談)について語っていただき、フリートークという形でインタビューをさせていただきました。
みなさん多種多様な経験をお持ちになり、私がメディアを通じて得た戦争の知識は、前線で戦うことが主であったような気がします。私の祖父も前線で銃弾を受けた経験などがあり、生前話してくれていたので記憶に残っております。また、教育の場で学んだ内容も同じようだったと思います。今回伺ったお話は、私が学んできたものとは少し違った内容で身近なというか庶民(若い世代の方)の戦争体験であり、苦労されたお話や恐怖体験を聞くことが出来たように思います。
皆さんがそろって口にされていたことは、戦争で得たものは何もなく失ったものが大きすぎる、二度としてはならないものが戦争であるということです。今日、私達がこうして何不自由なく生活しているのは、戦争で犠牲になり亡くなった方やお国のために我慢をし、頑張ってこられた方々が根底にあるのではと感じます。また、戦後、先人達が衣食住に苦しみながら一生懸命に、戦後復興・厳しい労働条件などにも屈することなく企業を育て、経済大国になったのだと思います。こうした努力・犠牲・苦労(我慢)があるから今の日本があるのではないかと改めて強く感じました。戦争というものは、必ず後世に伝えていかなければならない、忘れてはならないことでしょう。
この経験を生かし、私も子供を持つ親なので、責任を持って伝えて生きたいと思います。
(聞き手 佐藤直美 昭和46《1971》年生)
(お話を聞いて②)
今回は皆さんご一緒にお話しを伺った。皆さんそれぞれいろいろな体験をしておられびっくりした。お話しを聞く中で一番印象に残ったのは、みなさんが当時十代の少年や少女で戦争にいろいろな形で参加していたことだった。そのころの教育は、今の私たちでは想像もできないものだったようだった。皆さんが口々に「お国の為」や「欲しがりません勝つまでは」ということを学校の先生から教わり、絶対に日本は勝つと信じていたのだとおっしゃっていた。空腹を我慢しながらの仕事や、米軍機による空襲を受け怯《おび》えながらもがんばってこれたのもこの教育のもとに国全体が一つになっていたからこそ出来たものだったようだ。
私も人のことを言えないが今の子供達は、戦争をまったく知らない。ゲーム感覚でバーチャル的に考えているのだと思う。戦闘機での爆撃や人を殺したりすることが現実にとらえられずにいる。戦争は遠い国の話だと思っていると思う。そんな子供達に日本が経験をした戦争や、みなさんが体験したことを伝えていかなければならないと思った。
戦争を終え犠牲になった人と、生きていることとは紙一重であるとおっしゃっていた。
十代でゼロ戦《注》に乗りミサイルを2つ搭載、そして米軍の軍艦を3艦沈没させたという話を聞き最初はどういうことかと思った。話を聞くうちに2艦はミサイルで、一艦はゼロ戦ごと自分がミサイルになって沈没させたことを聞きやるせない気持ちになった。
「戦争で犠牲になった多くの人たちの上に、現在の日本がある」そのことを忘れずにいかなければならない。
(聞き手 中島敦 昭和48《1973》年生)
注 ゼロ戦=零式艦上戦闘機の通称、太平洋戦争当時、日本海軍の主力戦闘機
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編集者 (代理投稿)