『肉声史』 戦争を語る (66)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
「悲しい誉の家」《=戦士された家族の家。玄関に表示物》
小田原市 石井 一雄(昭和5《1930》年生)
(あらすじ)
私の戦争は、昭和12年の8月、父に召集令状がきて始まった。漁師だった父は電報で漁から呼び戻され、9月に赤羽工兵隊へ入隊。 4人いた子供は10歳の姉から7歳の私を含め一番下は2歳だった。 戦争による各家庭の苦しみは表に出ないけれどたくさんある。 母は大変だった。子供も苦労はあった。父がいなくても小学2年生で一人前の手伝いをさせられた。大人と一緒に防空壕を掘ったり、薪拾い、農家の手伝いをしたり。近所も容赦なく厳しく割り当ててくる。
母は裁縫ができたので近所から仕事を貰っていた。その合間に農家へ手伝いに行って、朝早くから夜遅くまで働いていつ寝ているかわからなかった。国は何もしてくれなかった。
嫌だったのは「誉の家」。戦没者《=戦争で亡くなった方》の立派な家だと言われ、曲がったことをしてはいけないと窮屈だった。運動会も母はお偉方とテントの中。弁当も兄弟だけでボソボソと寂しく食べた。絶対に忘れない。
「誉の家」は子供にも指導があって、靖国神社参拝の作文を書かされた。本当のことが書けず、「父がいなくても国の為にがんばる」と本心じゃないことを書いた。
父に手紙や日用品を入れた慰問袋《いもんぶくろ=出征軍人に慰問のため手紙・日用品・娯楽品などを入れた袋》を送ったが、届いていなかったようだ。父は、9月の入隊後上海の激戦地へ行き、11月に死んだ。終戦後復員する人がいるのに父は帰らず寂しかった。硫黄島《いおうじま=東京都》がアメリカに陥落《=攻め落とされ》され、昭和18年暮れから昭和19年にかけては毎日のように空襲があった。終戦間際には宣伝ビラも撒《ま》かれた。 「日本良い国花の国。7月8月灰の国」と書いてあったのを覚えている。
(お話を聞いて)
石井さんが「戦争なんだ!」と感じたのは、お父さんに「赤紙」が来たときだそうです。この時代は戦争に行くことが、「良い事」のように思われていて、送り出されていくときは、たくさんの人達が集まり旗を振ってまで送り出したということでしたが、現代に生きる私には、とても理解しがたく、もどかしく思いました。当時は、「行って欲しくは無い」という気持ちを外に出してはいけないことになっていたそうで、また家族が「誉の家」と国から表彰されていたので、一生懸命尽くすような雰囲気があり、素直な気持ちや考えを言ってはいけないことになっていたそうです。
小学生で自分の父親が遠くに行く。必ずしもかえってくるとは限らない。そんなときも、黙って旗を振る・・・今と比べるとあまりに違うというより、残酷だと思います。石井さんは、小学校に通いながら、大人の人と一緒に働いてつらい事も沢山あったようです。母親は、兄弟四人の暮らしを立てるために朝早くから夜遅くまで働き、石井さんはとてもさびしい思いをしたといっていました。戦争だから仕方がないと言い聞かせつつ過ごす事の悲しさが伝わって来ました。私は、戦争中のこと始めて直接聞きましたが、戦争というと、戦地でのつらさを想像していましたが、戦地で戦う人も、内地で残された家族で生活するのも同じぐらい「辛さ」があると感じました。戦争映画やテレビとは違った遠い世界の出来事ではなかったんだ、私のおじいさんくらいの年の人が体験したのだからもっと身近なことと思える様になりました。 戦争は今も世界で起きていて、全世界から戦争を無くすのは、今回のように戦争の話を聞いたり、小さな事から沢山の人が戦争について考えなければならないと思いはじめました。お話を聞かせてくださった石井さんありがとうございました。
(聞き手 奥津香菓子 昭和61《1986》年生)
小田原市 石井 一雄(昭和5《1930》年生)
(あらすじ)
私の戦争は、昭和12年の8月、父に召集令状がきて始まった。漁師だった父は電報で漁から呼び戻され、9月に赤羽工兵隊へ入隊。 4人いた子供は10歳の姉から7歳の私を含め一番下は2歳だった。 戦争による各家庭の苦しみは表に出ないけれどたくさんある。 母は大変だった。子供も苦労はあった。父がいなくても小学2年生で一人前の手伝いをさせられた。大人と一緒に防空壕を掘ったり、薪拾い、農家の手伝いをしたり。近所も容赦なく厳しく割り当ててくる。
母は裁縫ができたので近所から仕事を貰っていた。その合間に農家へ手伝いに行って、朝早くから夜遅くまで働いていつ寝ているかわからなかった。国は何もしてくれなかった。
嫌だったのは「誉の家」。戦没者《=戦争で亡くなった方》の立派な家だと言われ、曲がったことをしてはいけないと窮屈だった。運動会も母はお偉方とテントの中。弁当も兄弟だけでボソボソと寂しく食べた。絶対に忘れない。
「誉の家」は子供にも指導があって、靖国神社参拝の作文を書かされた。本当のことが書けず、「父がいなくても国の為にがんばる」と本心じゃないことを書いた。
父に手紙や日用品を入れた慰問袋《いもんぶくろ=出征軍人に慰問のため手紙・日用品・娯楽品などを入れた袋》を送ったが、届いていなかったようだ。父は、9月の入隊後上海の激戦地へ行き、11月に死んだ。終戦後復員する人がいるのに父は帰らず寂しかった。硫黄島《いおうじま=東京都》がアメリカに陥落《=攻め落とされ》され、昭和18年暮れから昭和19年にかけては毎日のように空襲があった。終戦間際には宣伝ビラも撒《ま》かれた。 「日本良い国花の国。7月8月灰の国」と書いてあったのを覚えている。
(お話を聞いて)
石井さんが「戦争なんだ!」と感じたのは、お父さんに「赤紙」が来たときだそうです。この時代は戦争に行くことが、「良い事」のように思われていて、送り出されていくときは、たくさんの人達が集まり旗を振ってまで送り出したということでしたが、現代に生きる私には、とても理解しがたく、もどかしく思いました。当時は、「行って欲しくは無い」という気持ちを外に出してはいけないことになっていたそうで、また家族が「誉の家」と国から表彰されていたので、一生懸命尽くすような雰囲気があり、素直な気持ちや考えを言ってはいけないことになっていたそうです。
小学生で自分の父親が遠くに行く。必ずしもかえってくるとは限らない。そんなときも、黙って旗を振る・・・今と比べるとあまりに違うというより、残酷だと思います。石井さんは、小学校に通いながら、大人の人と一緒に働いてつらい事も沢山あったようです。母親は、兄弟四人の暮らしを立てるために朝早くから夜遅くまで働き、石井さんはとてもさびしい思いをしたといっていました。戦争だから仕方がないと言い聞かせつつ過ごす事の悲しさが伝わって来ました。私は、戦争中のこと始めて直接聞きましたが、戦争というと、戦地でのつらさを想像していましたが、戦地で戦う人も、内地で残された家族で生活するのも同じぐらい「辛さ」があると感じました。戦争映画やテレビとは違った遠い世界の出来事ではなかったんだ、私のおじいさんくらいの年の人が体験したのだからもっと身近なことと思える様になりました。 戦争は今も世界で起きていて、全世界から戦争を無くすのは、今回のように戦争の話を聞いたり、小さな事から沢山の人が戦争について考えなければならないと思いはじめました。お話を聞かせてくださった石井さんありがとうございました。
(聞き手 奥津香菓子 昭和61《1986》年生)
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編集者 (代理投稿)