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『肉声史』 戦争を語る (39)

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通常 『肉声史』 戦争を語る (39)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/9/21 6:46
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 「終戦直前 ソ連侵攻」

 大和市 高橋 義雄(大正12《1923》年生)

 (あらすじ)

 徴兵《ちょうへい》によって20歳に検査を受けて入隊。満州部隊要員として孫呉《そんご》へ行き、対ソ連戦に備えての演習訓練を受けた。国境近くだったので一般地域よりも厳しかったと思う。特に雪の上でのほふく前進が辛かった。本隊の多くは南方へ行ったが、私たちはハルビンで3ケ月訓練して、砲兵不足の為に部隊を編成してノモンハンへ行った。ソ連との戦いになった時、国境の山の中腹に大砲を据えて、敵の戦車や大砲を撃破する任務だった。ソ連は中立不可侵条約を一方的に破棄して、150万ともいわれる軍隊が一斉に攻めてきた。こちらは陣地構築中で、大砲も郊外においてあったので苦戦した。
 もう国境で食い止めるのは不可能だと関東軍からの退去命令で新彊《しんきょう=中国北西端にある主要地域》へ集まることになった。ところがソ連軍が610mまで迫っていた。食い止めなければ7000人の師団が全滅だと連隊長直々「絶対戦車を壊してこい」と任務を命令された。戦車2台が迫ってきていたが7門くらいの大砲が命中して戦車は退却した。約2年満州にいたが移動が多く、家に手紙を出すことはできたが受け取れなかった。
 楽しい思い出は、現地の人を連れて1ケ月程国境調査をしたこと。山の稜線《りょうせん=尾根》を目安に国境を調査したが、目的はソ連戦でどのくらい水が不足するかを調べることだった。この時の現地人との交流が唯一の思い出となった。8月27日の夜まで戦闘して、翌日飛行機から撒《ま》かれたビラで終戦を知った。昨日までの生きるか死ぬかの戦いから一変「ああ命があった」。でもすぐに「これからどうなるのか」と思った。

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編集者 (代理投稿)

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