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『肉声史』 戦争を語る (59)

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通常 『肉声史』 戦争を語る (59)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/10/11 8:09
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
「終戦後にもあった戦争」
 
 山北町   関  貢 (大正9《1920》年生)

 (あらすじ)

 赤紙が来たときはいよいよ来たかと思う。軍服を着たときは恐ろしさと不安があった。
 衛生兵として入営。新兵は辛く、先輩は神様であった。軍律は厳しく、しかし誇りはもっていた。南方の島で艦砲射撃を受けるがそれは凄まじいものであった。
 終戦は8月25日に知る。負けたと分っていたがその後3ケ月戦争が続いた。結果、英国の捕虜となる。そこでは、衛生隊を作らされ戦後の復興作業をやらされた。インドネシアの独立運動が始まり日本人は殺されるなどとのうわさを聞く。約2000人の敵兵に包囲され、味方は500人。援軍を求めるが無駄。部隊長は武器を与え命を守れというような状況であった。終戦から帰国まで2年間は空白の時間。帰国し、働いている人を見て、俺たちは日本人だと実感した


 (お話を聞いて)

 今回、関さんから戦争体験を聞かせて頂いた。まず印象に残ったのは、昭和20年8月15日終戦を迎えた後も、なおイギリス軍の捕虜になって、インドネシアの独立を阻止するための連合国側の戦争に加担させられたという話しを聞いたことだ。そのために、やっと日本に帰ってこられたのは終戦の2年後だったということも聞かされた。その話を聞いた時、戦争に勝った国は戦争に負けた国に対して何をやっても許されるのだなあと率直に思った。戦争に勝つためには手段を選ばない戦勝国のやり方に対してとても憤りを覚えた。
 もう一つ、関さんのお話で印象に残ったのは、「日本国の軍隊は、軍律という厳しい軍隊の規則に従って、日本人としての自信と誇りを持っことを養ってきた。日本人として国のためにどう戦地に赴くか、国を守るために死ぬことは光栄なことで、そのためにはどういうふうに敵に向かって体当たりをするかを徹底的に叩《たた》き込まれた。」と話されたことだ。戦時中は日本人であるという自信や誇りについて、それがたとえ戦争に加担し悪い方向に進んでいたとしても、確かに存在してたと、関さんの話しを聞いて見て取ることができた。
 しかし今現在、日本人にとって自信や誇りというのは一体どこにあるのだろう、私は率直に、今の日本人にとっての自信や誇りというのは一体なんなのだろうと考えさせられた。昔の日本にあって今の日本には無いもの、それは他の国と比べて日本人として誇れるものは何か、はっきり言えるのかそうでないのかということではないか思う。私たちのような戦後生まれの世代で、日本人としての誇りとはいった何かはっきりと述べられる方はそんなに多くないと思う。私は関さんの話を聞いて、日本人の誇りとは何なのか、改めて考えてみたいと思った。  

 (聞き手  西川 也桃 昭和51《1976》年生)

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編集者 (代理投稿)

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