『肉声史』 戦争を語る (60)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
「外地での少年期 遊び相手は犬とロバ」
山北町 相原 俊夫(昭和4《1929》年生)
(あらすじ)
私は戦前戦中と外地で少年期を過ごした。昭和8年4歳の時、おじに連れられ熱河省《=中国北部》凌源駅に着いた。その後、現地の大和旅館の子供として育った。旅館には一個中隊が常駐していた。夜中に馬賊《=略奪などを行った騎馬の武装集団》が攻めてきて、町内での撃ち合いになることもあった。おじは銃を持って出かけ、残った者は黒い服を着て屋根の上に避難した。町の周りには土塀があり、大きな門が東西南北にあった。夕方になると門が閉められ人の出入りできない。宿泊客は兵隊が多く、夜中に弁当何百個と作って届ける手伝いもした。私の遊び相手は、犬や荷物を運んできた商人のロバ。冬期には凍結した川でスケートを楽しんだ。
小学校では日本人と韓国人が共に日本の教育を受けていた。全校で20人程度だった。昭和17年官立旅順中学校へ入学。当時、旅順は日本国だった。しばらくして学徒動員《=労働力不足を補うために学生・生徒を工場などで強制的に労働させた》として鉄鋼工場へ派遣された。昭和19年からは海の官署で勤務。大連警察署からの派遣で旅順・大連間の絶壁の上に24時間体制で5、6人で勤務していた。終戦日はこの官署で迎えた。奉天に帰り、日本人は市内の中心にある映画館に集まって根城《ねじろ=行動の根拠とする場所》にした。
8月20日から治安が悪化し郊外の日本人宅が強奪、火災に遭った。男性は私一人だったので夜警に立ち、屋上で監視した。8月末に奉天にソ連軍が侵入。路上で婦女子が襲われ始め、丸坊主にして男性服を着ないと外出できなくなった。八路軍《はちろ軍=抗日戦争期に活動した中国共産党軍 後に人民解放軍となる》が入ってからは治安が少しよくなった。昭和21年2月頃から日本人の帰国が始まった。私は10月の最終貨車に乗り、船を3日待って帰国した。満州の山に木は生えていないので、山の木を見てびっくりした。
(お話を聞いて)
おじいちゃんの話を聞いて、改めて戦争の恐ろしさ、むごさを知ることができました。
戦争のテレビ等で見たりしてたので戦争のひどさは知っていました。しかしお話を聞いていると戦争について話すおじいちゃんの一言ひとことが重く胸にのしかかってきました。
「銃を頭に突きつけられたこともあったよ。」という言葉に私はとても驚きました。戦争時代には死と隣合わせの生活。今ではそんなことなどまったく考えられません。平穏に生活ができるのが当たり前な時代です。私達がこの平和な時代で生活できることはとてもすばらしいことだと思います。
戦争は人間たちの醜《みにく》い欲望からでてきた争いです。人間が人間を殺し、やさしさ、平和、尊厳を消し去り、別れ、苦しみ、憎しみを生み出します。そして関係のない人々もまき込まれ、最終的に被害を受けるのは、かよわい女、子どもばかりです。おじいちゃんもその内の一人として被害を受け苦しい生活だったと思います。そんなおじいちゃんが一生懸命語ってお話を胸に刻みお話をしてくれたおじいちゃんにとても感謝しています。
私は、おじいちゃんの話を多くの人に広め戦争のむごさを知ってもらい二度と戦争が起きないようにしてほしいです。
(聞き手 磯田 真紀 平成2《1990》年生)
山北町 相原 俊夫(昭和4《1929》年生)
(あらすじ)
私は戦前戦中と外地で少年期を過ごした。昭和8年4歳の時、おじに連れられ熱河省《=中国北部》凌源駅に着いた。その後、現地の大和旅館の子供として育った。旅館には一個中隊が常駐していた。夜中に馬賊《=略奪などを行った騎馬の武装集団》が攻めてきて、町内での撃ち合いになることもあった。おじは銃を持って出かけ、残った者は黒い服を着て屋根の上に避難した。町の周りには土塀があり、大きな門が東西南北にあった。夕方になると門が閉められ人の出入りできない。宿泊客は兵隊が多く、夜中に弁当何百個と作って届ける手伝いもした。私の遊び相手は、犬や荷物を運んできた商人のロバ。冬期には凍結した川でスケートを楽しんだ。
小学校では日本人と韓国人が共に日本の教育を受けていた。全校で20人程度だった。昭和17年官立旅順中学校へ入学。当時、旅順は日本国だった。しばらくして学徒動員《=労働力不足を補うために学生・生徒を工場などで強制的に労働させた》として鉄鋼工場へ派遣された。昭和19年からは海の官署で勤務。大連警察署からの派遣で旅順・大連間の絶壁の上に24時間体制で5、6人で勤務していた。終戦日はこの官署で迎えた。奉天に帰り、日本人は市内の中心にある映画館に集まって根城《ねじろ=行動の根拠とする場所》にした。
8月20日から治安が悪化し郊外の日本人宅が強奪、火災に遭った。男性は私一人だったので夜警に立ち、屋上で監視した。8月末に奉天にソ連軍が侵入。路上で婦女子が襲われ始め、丸坊主にして男性服を着ないと外出できなくなった。八路軍《はちろ軍=抗日戦争期に活動した中国共産党軍 後に人民解放軍となる》が入ってからは治安が少しよくなった。昭和21年2月頃から日本人の帰国が始まった。私は10月の最終貨車に乗り、船を3日待って帰国した。満州の山に木は生えていないので、山の木を見てびっくりした。
(お話を聞いて)
おじいちゃんの話を聞いて、改めて戦争の恐ろしさ、むごさを知ることができました。
戦争のテレビ等で見たりしてたので戦争のひどさは知っていました。しかしお話を聞いていると戦争について話すおじいちゃんの一言ひとことが重く胸にのしかかってきました。
「銃を頭に突きつけられたこともあったよ。」という言葉に私はとても驚きました。戦争時代には死と隣合わせの生活。今ではそんなことなどまったく考えられません。平穏に生活ができるのが当たり前な時代です。私達がこの平和な時代で生活できることはとてもすばらしいことだと思います。
戦争は人間たちの醜《みにく》い欲望からでてきた争いです。人間が人間を殺し、やさしさ、平和、尊厳を消し去り、別れ、苦しみ、憎しみを生み出します。そして関係のない人々もまき込まれ、最終的に被害を受けるのは、かよわい女、子どもばかりです。おじいちゃんもその内の一人として被害を受け苦しい生活だったと思います。そんなおじいちゃんが一生懸命語ってお話を胸に刻みお話をしてくれたおじいちゃんにとても感謝しています。
私は、おじいちゃんの話を多くの人に広め戦争のむごさを知ってもらい二度と戦争が起きないようにしてほしいです。
(聞き手 磯田 真紀 平成2《1990》年生)
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編集者 (代理投稿)