『肉声史』 戦争を語る (43)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
「軍艦高雄乗船勤務は今も誇り」
綾瀬市 多田 盛勝(大正10《1920》年生)
(あらすじ)
昭和17年1月10日に横須賀第1海兵団に入隊。村挙げて送り出され、相当の覚悟で行った。3カ月の新兵教育で、それまで考えていた「セーラー服着て海の向こうの夕日を船から眺めて」というロマンチックな考えは吹っ飛んだ。制裁等厳しさが身にしみた。
海兵団出て初めて海軍一等水兵の位を貰って、戦争へいった。 軍艦「高雄」に乗ったが、それは今も誇りだし、その誇りを持ってお勤めできたこと胸を張って言える。私は大砲担当だった。 毎日訓練で、上官には絶対服従。団体生活で個はない。「体を張って戦いに出る」教育だったから生易しいものじゃなかった。大砲の訓練は、弾を込めて撃つまでのタイムを計る。大砲の仕組みは非常に複雑で、私は海軍の砲術学校へ行った。教育が世界一厳しいと言われる学校で、すべてに迅速さと正確さ、スマートさが求められた。飛行機撃墜の任務も行いながら毎日訓練した。
砲術学校を出て、「高雄」に乗った。生活や作業の割り当ては、船の左舷右舷に分かれて行われた。
5年の内、1ケ月間も船に乗りっぱなしだったのは1回だけ。南洋では、船上で体に石鹸を塗ってスコール《強烈なにわか雨》で洗い流していた。腎臓結石《じんぞうけっせき》でシンガポールの海軍病院入院中に終戦を知った。退院して戻ったら、船が大破していた。
4つあった艦尾のスクリューが魚雷でやられて2つになっていたが、何とか動かしてブルネイへ帰ってきた。敵の潜水艦がとどめを刺そうと待ち構え、潜望鏡が見えたので報告したのを覚えている。
(お話を聞いて)
多田盛勝さんの戦時中の海軍への入隊から戦地からの帰国までのお話を聞きました。私にはもう少し若い祖父母がいるが、過去に戦時中のことを聞いた覚えはない。そして今、当時のことを流暢《りゅうちょう》に話せるほど元気ではないので、今回のお話は、貴重な体験になりました。中でも、「軍隊に入隊し、戦地へ赴いたことを今でも誇りに思う。」との多田さんの言葉は印象的であり、おそらく当時の年齢と同じくらいであったろう今の私に、誇りに思うことがない自分を悲しく思い、また、多田さんを羨《うらや》ましく思いました。
しかし、戦地へ赴いたことへの誇り、というものには到底同感できるものではなく、平和な今しか知らない自分には、戦時下にいた人たちの思いでしかない、とすることでその時は精一杯でした。
そのような思いも、多田さんのお話を聞くうちに、様々な意味合いは混在してることがわかり、大変勉強になりました。たとえば、今にない生活環境、厳しさ、危機感であったり、正義の名のもとに強いられた戦争など・‥海軍での生活は勅命で絶対服従下のため、寝てもさめても訓練の日々で、規律正しく、厳しくされたようでした。そんな中でも、連帯責任のもと行われる訓練を通して生まれる仲間とのチームワークのお話などから、辛いことばかりではなかったのかな?ということが感じ取れました。
日本の敗戦を知ったときの気持ちを伺ったところ、「ほっとした、家に帰れるのが一番うれしかった」とまるで当時に戻ったかのような口ぶりでおっしゃっていました。最後に若者へということでお聞きしたところ、「時代の移り変わりなので仕方ないことではあるが、幼い頃から規律を守るという教育が薄れていて自由すぎるし、若者には迫力がない!」との一言、ただただ反省のしきりでした。厳しい時代を生き抜いた多田さんにその時、たくましさと達成感、今を生きていることへの充実感を感じました。
(聞き手 匿名 昭和54《1979》年生)
綾瀬市 多田 盛勝(大正10《1920》年生)
(あらすじ)
昭和17年1月10日に横須賀第1海兵団に入隊。村挙げて送り出され、相当の覚悟で行った。3カ月の新兵教育で、それまで考えていた「セーラー服着て海の向こうの夕日を船から眺めて」というロマンチックな考えは吹っ飛んだ。制裁等厳しさが身にしみた。
海兵団出て初めて海軍一等水兵の位を貰って、戦争へいった。 軍艦「高雄」に乗ったが、それは今も誇りだし、その誇りを持ってお勤めできたこと胸を張って言える。私は大砲担当だった。 毎日訓練で、上官には絶対服従。団体生活で個はない。「体を張って戦いに出る」教育だったから生易しいものじゃなかった。大砲の訓練は、弾を込めて撃つまでのタイムを計る。大砲の仕組みは非常に複雑で、私は海軍の砲術学校へ行った。教育が世界一厳しいと言われる学校で、すべてに迅速さと正確さ、スマートさが求められた。飛行機撃墜の任務も行いながら毎日訓練した。
砲術学校を出て、「高雄」に乗った。生活や作業の割り当ては、船の左舷右舷に分かれて行われた。
5年の内、1ケ月間も船に乗りっぱなしだったのは1回だけ。南洋では、船上で体に石鹸を塗ってスコール《強烈なにわか雨》で洗い流していた。腎臓結石《じんぞうけっせき》でシンガポールの海軍病院入院中に終戦を知った。退院して戻ったら、船が大破していた。
4つあった艦尾のスクリューが魚雷でやられて2つになっていたが、何とか動かしてブルネイへ帰ってきた。敵の潜水艦がとどめを刺そうと待ち構え、潜望鏡が見えたので報告したのを覚えている。
(お話を聞いて)
多田盛勝さんの戦時中の海軍への入隊から戦地からの帰国までのお話を聞きました。私にはもう少し若い祖父母がいるが、過去に戦時中のことを聞いた覚えはない。そして今、当時のことを流暢《りゅうちょう》に話せるほど元気ではないので、今回のお話は、貴重な体験になりました。中でも、「軍隊に入隊し、戦地へ赴いたことを今でも誇りに思う。」との多田さんの言葉は印象的であり、おそらく当時の年齢と同じくらいであったろう今の私に、誇りに思うことがない自分を悲しく思い、また、多田さんを羨《うらや》ましく思いました。
しかし、戦地へ赴いたことへの誇り、というものには到底同感できるものではなく、平和な今しか知らない自分には、戦時下にいた人たちの思いでしかない、とすることでその時は精一杯でした。
そのような思いも、多田さんのお話を聞くうちに、様々な意味合いは混在してることがわかり、大変勉強になりました。たとえば、今にない生活環境、厳しさ、危機感であったり、正義の名のもとに強いられた戦争など・‥海軍での生活は勅命で絶対服従下のため、寝てもさめても訓練の日々で、規律正しく、厳しくされたようでした。そんな中でも、連帯責任のもと行われる訓練を通して生まれる仲間とのチームワークのお話などから、辛いことばかりではなかったのかな?ということが感じ取れました。
日本の敗戦を知ったときの気持ちを伺ったところ、「ほっとした、家に帰れるのが一番うれしかった」とまるで当時に戻ったかのような口ぶりでおっしゃっていました。最後に若者へということでお聞きしたところ、「時代の移り変わりなので仕方ないことではあるが、幼い頃から規律を守るという教育が薄れていて自由すぎるし、若者には迫力がない!」との一言、ただただ反省のしきりでした。厳しい時代を生き抜いた多田さんにその時、たくましさと達成感、今を生きていることへの充実感を感じました。
(聞き手 匿名 昭和54《1979》年生)
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編集者 (代理投稿)