『肉声史』 戦争を語る (31)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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「神風は存在しない」
伊勢原市 鈴木 正子(大正12《1923》年生)
(あらすじ)
昭和18年専門学校の終わり、20歳頃に太平洋戦争が始まった。 「神風」という言葉が流行っていた。思い出すのは小学校3年の修身の時間。礼儀や作法の教育がされる。そこで愛国心を植えつけられていった。それは見事だった。教育勅語《注》を全暗記、軍国主義が浸透した。子供心に「国の為に尽《つ》くしたい」と愛国心に燃えた。天皇陛下の写真が学校や会社の目立つところに収めてあった。陛下は神様と同じだった。戦争が始まると家の金物を供出した。満州事変後、「産めよ増やせよ」で子供12人産んだ人は表彰された。人口が増えてきたら満州開拓団へとやらされた。行った人は痩《や》せた土地で大変だった。コーリャン《=中国語、中国産のモロコシ》位しか作れなかったらしい。
そのうち戦果の放送や報道も少なくなり、国民もおかしいなと思い始めた。
B29《アメリカの大型爆撃機》が高い空を飛ぶようになってきた。雨が降ってきたと思うと、焼夷弾《しょういだん》が落とされる。雨じゃなくて油だった。「何か国の為に」と女学校卒業後に日赤を受験して合格した。衛生教育を受けて豊橋の陸軍病院に配属された。終戦間際には敵の飛行機が低く飛ぶようになった。パンパンと機関銃で撃ってくる。防空壕に入る時の惨めさは忘れない。
終戦の玉音《ぎょくおん=天皇の声》放送を聴いて「神風は存在しない」と知った。戦前戦中の「国民一致」は徹底していた。見事だった。新生活に向けて、戦後国民皆に一人当たり10円が支給された。
人間は生まれてきたからには楽しく過ごせるようにしなければならない。一人一人が幸せにならないといけない。
(お話を聞いて)
鈴木様より、戦時中の話を聞かせていただいたとき、懐かしい思いがした。もちろん自分自身は戦争を知らないから、体験を思ってではなく話を聞くことが懐かしかったのである。私は戦争体験世代にとって孫の世代である。それでも幼いころは、祖父から戦時中の話を書かされたし、学校では毎年必ず戦争体験を振り返る行事があった。だから今回のインタビューで聞いた話は、全く新鮮な話というわけではなかった。しかし、懐かしいと感じるほど長い間、このような話にじっくり触れる機会が無かったように思う。
インタビューの前、鈴木さんは話す出来事の年代を整理されようとするが、なかなか正確な年を思い出せずに難儀されていた。しかしいざ話が始まると、出来事を非常に詳細に覚えておられ、今も脳裏に情景が焼きついているという話し振りであった。実際に焼夷弾が降る様子、陸軍病院で戦闘機から機関銃で攻撃を受けたときの話などは、聞いている側にもその映像が見えるようであった。
鈴木さんの話から感じれたのは、暗い戦時中にも、人々の生活や日常の交流があったのだということ。凄まじい体験の中、決して暗いだけの時代ではない。戦争に対して、特殊な教育によって特殊になってしまった人々の出来事のようなイメージが少なからずあった。しかし話を聞いていると、そこに生きていた人々は、むしろ人間関係が希薄になっている今の世代よりも、ある面で人間らしい関係がある。自由がなく、従った時代であるが、励ましあい、互いに助け合った時代でもあった。再び来てはならない時代ではあるが、生きるということを学ばせた時代でもあったのだろう。
話の終わりに、鈴木様が今の世代に伝えたかったことは命の尊さだった。鈴木さんの世代は戦争をそれを通して学んだ。私達は戦争を繰り返して学ぶわけには行かない。しかし、体験者に耳を傾けることで、彼女達が学んだレッスンを受けることができる。
(聞き手 坂井圭介 昭和53《1978》年生)
注 教育勅語=明治天皇の名で国民道徳の根源、国民教育の基本理念を明示した勅語
伊勢原市 鈴木 正子(大正12《1923》年生)
(あらすじ)
昭和18年専門学校の終わり、20歳頃に太平洋戦争が始まった。 「神風」という言葉が流行っていた。思い出すのは小学校3年の修身の時間。礼儀や作法の教育がされる。そこで愛国心を植えつけられていった。それは見事だった。教育勅語《注》を全暗記、軍国主義が浸透した。子供心に「国の為に尽《つ》くしたい」と愛国心に燃えた。天皇陛下の写真が学校や会社の目立つところに収めてあった。陛下は神様と同じだった。戦争が始まると家の金物を供出した。満州事変後、「産めよ増やせよ」で子供12人産んだ人は表彰された。人口が増えてきたら満州開拓団へとやらされた。行った人は痩《や》せた土地で大変だった。コーリャン《=中国語、中国産のモロコシ》位しか作れなかったらしい。
そのうち戦果の放送や報道も少なくなり、国民もおかしいなと思い始めた。
B29《アメリカの大型爆撃機》が高い空を飛ぶようになってきた。雨が降ってきたと思うと、焼夷弾《しょういだん》が落とされる。雨じゃなくて油だった。「何か国の為に」と女学校卒業後に日赤を受験して合格した。衛生教育を受けて豊橋の陸軍病院に配属された。終戦間際には敵の飛行機が低く飛ぶようになった。パンパンと機関銃で撃ってくる。防空壕に入る時の惨めさは忘れない。
終戦の玉音《ぎょくおん=天皇の声》放送を聴いて「神風は存在しない」と知った。戦前戦中の「国民一致」は徹底していた。見事だった。新生活に向けて、戦後国民皆に一人当たり10円が支給された。
人間は生まれてきたからには楽しく過ごせるようにしなければならない。一人一人が幸せにならないといけない。
(お話を聞いて)
鈴木様より、戦時中の話を聞かせていただいたとき、懐かしい思いがした。もちろん自分自身は戦争を知らないから、体験を思ってではなく話を聞くことが懐かしかったのである。私は戦争体験世代にとって孫の世代である。それでも幼いころは、祖父から戦時中の話を書かされたし、学校では毎年必ず戦争体験を振り返る行事があった。だから今回のインタビューで聞いた話は、全く新鮮な話というわけではなかった。しかし、懐かしいと感じるほど長い間、このような話にじっくり触れる機会が無かったように思う。
インタビューの前、鈴木さんは話す出来事の年代を整理されようとするが、なかなか正確な年を思い出せずに難儀されていた。しかしいざ話が始まると、出来事を非常に詳細に覚えておられ、今も脳裏に情景が焼きついているという話し振りであった。実際に焼夷弾が降る様子、陸軍病院で戦闘機から機関銃で攻撃を受けたときの話などは、聞いている側にもその映像が見えるようであった。
鈴木さんの話から感じれたのは、暗い戦時中にも、人々の生活や日常の交流があったのだということ。凄まじい体験の中、決して暗いだけの時代ではない。戦争に対して、特殊な教育によって特殊になってしまった人々の出来事のようなイメージが少なからずあった。しかし話を聞いていると、そこに生きていた人々は、むしろ人間関係が希薄になっている今の世代よりも、ある面で人間らしい関係がある。自由がなく、従った時代であるが、励ましあい、互いに助け合った時代でもあった。再び来てはならない時代ではあるが、生きるということを学ばせた時代でもあったのだろう。
話の終わりに、鈴木様が今の世代に伝えたかったことは命の尊さだった。鈴木さんの世代は戦争をそれを通して学んだ。私達は戦争を繰り返して学ぶわけには行かない。しかし、体験者に耳を傾けることで、彼女達が学んだレッスンを受けることができる。
(聞き手 坂井圭介 昭和53《1978》年生)
注 教育勅語=明治天皇の名で国民道徳の根源、国民教育の基本理念を明示した勅語
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編集者 (代理投稿)