『肉声史』 戦争を語る (44)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
「志願、戦わずして収容生活」
綾瀬市 鈴木 市松(大正10《1921》年生)
(あらすじ)
昭和16年に甲種合格し、翌1月10日東部7部隊に21歳で入営。2ケ月の教育を受けて、3月末に満州へ。4月にハルビン歩兵第177部隊に入隊した。対ソ連部隊で、軽機関銃の射手として演習を重ねた。戦車に飛び込む演習もあった。憲兵志願の募集があり、長男は志願できないが私は弟だったのでやってみようかと応募した。
新彊《しんきょう=中国北西端の地域》で憲兵教習隊に入隊し、卒業後新彊憲兵隊の吉林分隊付きに。そのうち満州にできた特別警備隊第5大隊へ配属され、現地へ行く準備中にソ連が攻めてきた。戦わずして8月18日停戦命令。憲兵は兵隊のおまわりさんで、軍隊にいる朝鮮人の内偵や市内パトロールなどが仕事だった。
内地とは手紙などで自由に連絡できた。
終戦後は新彊から歩いて公主領《=中国北東部の市》に移動。満州飛行機の社宅で一時待機した。そこから1000人の作業隊が編成されて9月20日に出発し、11月28日ウズベク共和国のべクワード駅に着いた。2、30分トラックに乗せられて囚人が使っていた収容所へ入った。労働は発電所の建設工事。幅80mの運河をスコップで掘った。毎日8時間ぶっ通し。労働にはノルマがあって、班員の達成率で食事の量が決められた。100パーセント達成するとノルマも上がり、皆栄養失調になった。夜盲症《=ビタミンAの欠乏による》やチフスにもかかった。昭和23年頃多くは日本へ帰されたが、「よく働いた者は早く帰す」から「ソ連に協力した者を帰す」となり、自分が帰りたいが為に罪のない人を売る者もいた。
その後、憲兵や悪いことをした人はアングレンで発電所建設や水道工事の労働を強いられた。
それからカラカンダ《=中央アジアにある》へ行き、炭坑掘りをした。
(お話を聞いて)
父親、兄が兵役の経験者だったこともあり、当然乍ら、お国の為に働くものと考えておられた様です。国を愛する心が強かっただけに戦地で終戦を迎えられた事は、悔しさ、空しさなど想像を絶するものがあったかと思われます。
ソ連の拘留生活も、帰国者が去り行く中やっと5年後に帰国を知らされた時は、苦しかった拘留生活も吹き飛びさぞかし喜びにわきたったことと思われます。戦争経験者の多くが集い雑談を交えながら語り合うことができたならもっとさまざまな体験談を聞く事が出来たのではないかと反省しています。
(聞き手 清水一男 昭和8《1933》年生)
綾瀬市 鈴木 市松(大正10《1921》年生)
(あらすじ)
昭和16年に甲種合格し、翌1月10日東部7部隊に21歳で入営。2ケ月の教育を受けて、3月末に満州へ。4月にハルビン歩兵第177部隊に入隊した。対ソ連部隊で、軽機関銃の射手として演習を重ねた。戦車に飛び込む演習もあった。憲兵志願の募集があり、長男は志願できないが私は弟だったのでやってみようかと応募した。
新彊《しんきょう=中国北西端の地域》で憲兵教習隊に入隊し、卒業後新彊憲兵隊の吉林分隊付きに。そのうち満州にできた特別警備隊第5大隊へ配属され、現地へ行く準備中にソ連が攻めてきた。戦わずして8月18日停戦命令。憲兵は兵隊のおまわりさんで、軍隊にいる朝鮮人の内偵や市内パトロールなどが仕事だった。
内地とは手紙などで自由に連絡できた。
終戦後は新彊から歩いて公主領《=中国北東部の市》に移動。満州飛行機の社宅で一時待機した。そこから1000人の作業隊が編成されて9月20日に出発し、11月28日ウズベク共和国のべクワード駅に着いた。2、30分トラックに乗せられて囚人が使っていた収容所へ入った。労働は発電所の建設工事。幅80mの運河をスコップで掘った。毎日8時間ぶっ通し。労働にはノルマがあって、班員の達成率で食事の量が決められた。100パーセント達成するとノルマも上がり、皆栄養失調になった。夜盲症《=ビタミンAの欠乏による》やチフスにもかかった。昭和23年頃多くは日本へ帰されたが、「よく働いた者は早く帰す」から「ソ連に協力した者を帰す」となり、自分が帰りたいが為に罪のない人を売る者もいた。
その後、憲兵や悪いことをした人はアングレンで発電所建設や水道工事の労働を強いられた。
それからカラカンダ《=中央アジアにある》へ行き、炭坑掘りをした。
(お話を聞いて)
父親、兄が兵役の経験者だったこともあり、当然乍ら、お国の為に働くものと考えておられた様です。国を愛する心が強かっただけに戦地で終戦を迎えられた事は、悔しさ、空しさなど想像を絶するものがあったかと思われます。
ソ連の拘留生活も、帰国者が去り行く中やっと5年後に帰国を知らされた時は、苦しかった拘留生活も吹き飛びさぞかし喜びにわきたったことと思われます。戦争経験者の多くが集い雑談を交えながら語り合うことができたならもっとさまざまな体験談を聞く事が出来たのではないかと反省しています。
(聞き手 清水一男 昭和8《1933》年生)
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編集者 (代理投稿)