『肉声史』 戦争を語る (30)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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「時代に翻弄《ほんろう》させられた青春」
伊勢原市 折井 武(大正14《1925》年生)
(あらすじ)
戦争が始まったと聞いたときは怖くて体が震えた。考えれば時代と制度に翻弄されたと思う。徴用《ちょうよう=注》令で海軍航空技術廠へ。寮生活で朝早くから夜遅くまで射撃用兵器部品を作る。
海兵団のカッター漕ぎは競争で負けると制裁があるので戦々恐々で負ければ、精神棒などで尻をたたかれた。また、東京の大空襲の悲惨さは、目に余るものがあった。戦時特例法等々法律は、自分たちの自由を奪っていくことを身をもって知った。
(お話を聞いて)
折井さんとは、伊勢原市老人クラブ連合会の「老連便り」(年4回発行A4版6~12ページ)の編集を担当している仲間ですが、年齢既に80歳を越えた今、ますます元気いっぱいで、ボランティア活動は勿論のこと、私は大の苦手の電子機器(パソコン、インターネット)の大ベテランで、今回の「戦争を語る」の内地での体験報告もあらかじめ作成してくれたので大いに助かりました。その資料はA4で10ページもあり、限られた時間(60分)内には、そのすべてをお聞きすることが出来ず、はなはだ残念でした。しかしせっかくの貴重な体験を無にするのが惜しくて多少早口になって聞きづらといことがあったら
お許しを頂きたいと思います。
折井さんは、開戦時16歳でしたが、充分戦争に対する覚悟を決められ、既に施行されていた国家総動員法による各種の統制とさらに施行された国民徴用令により、海軍航空技術廠に就職されたが、人手不足により、毎日5時間残業の厳しい日課に耐えられました。
一方、家業(鍍金業)は、ニッケル、クロム、銅等の材料が入手困難となり廃業し、父は軍需工場に就職、中国に出兵の兄が戦死され、折井さんも学校を繰り上げ卒業し、海軍航空技術廠の射撃部に就職し、試作工場で部品の試作をした後、海軍工員養成所で勉強もしました。その後、横須賀海兵団に入団してからの新兵教育は厳しいもので、「精神棒」で思い切りお尻を叩かれたり「お神輿」「ぶら下がり罰」「鴬の谷渡り」「蜂の子罰」「食事抜き」(詳細省略)等の刑罰や手旗信号の訓練も出来なければ食事ができませんでした。その後、本当の海軍軍人になる召集令状を貰ったが、軍艦にも乗らず、鉄砲も撃ったことはありませんでしたが、空襲は何度も経験し、電車が不通となり、東京から上野間や、東京から南千住間は積雪や、空襲による大火災の真っ暗な夜道を歩かされましたが、何といっても3月10日の東京大空襲はひどかったし、実際に体験した焼夷弾による空襲時の恐ろしかったことは、今でも鮮明に覚えておられます。横須賀海兵団での軍人らしい体験は、辻堂の海岸での演習での「蛸壷《たこつぼ》作戦」(内容省略)は正に人命軽視の特攻作戦でありました。そうして迎えた8月15日の終戦の放送を聞き「これで生きられる」との思い出で一杯でした。
最後に戦争を知らない人たちへのメッセージは、悲しい戦争を繰り返さないよう主権在民の平和国家を続けて下さいとのことです。
(聞き手 川口 博 昭和2《1927》年生)
注 徴用=国家が国民を強制的に動員し一定の業務につかせる
伊勢原市 折井 武(大正14《1925》年生)
(あらすじ)
戦争が始まったと聞いたときは怖くて体が震えた。考えれば時代と制度に翻弄されたと思う。徴用《ちょうよう=注》令で海軍航空技術廠へ。寮生活で朝早くから夜遅くまで射撃用兵器部品を作る。
海兵団のカッター漕ぎは競争で負けると制裁があるので戦々恐々で負ければ、精神棒などで尻をたたかれた。また、東京の大空襲の悲惨さは、目に余るものがあった。戦時特例法等々法律は、自分たちの自由を奪っていくことを身をもって知った。
(お話を聞いて)
折井さんとは、伊勢原市老人クラブ連合会の「老連便り」(年4回発行A4版6~12ページ)の編集を担当している仲間ですが、年齢既に80歳を越えた今、ますます元気いっぱいで、ボランティア活動は勿論のこと、私は大の苦手の電子機器(パソコン、インターネット)の大ベテランで、今回の「戦争を語る」の内地での体験報告もあらかじめ作成してくれたので大いに助かりました。その資料はA4で10ページもあり、限られた時間(60分)内には、そのすべてをお聞きすることが出来ず、はなはだ残念でした。しかしせっかくの貴重な体験を無にするのが惜しくて多少早口になって聞きづらといことがあったら
お許しを頂きたいと思います。
折井さんは、開戦時16歳でしたが、充分戦争に対する覚悟を決められ、既に施行されていた国家総動員法による各種の統制とさらに施行された国民徴用令により、海軍航空技術廠に就職されたが、人手不足により、毎日5時間残業の厳しい日課に耐えられました。
一方、家業(鍍金業)は、ニッケル、クロム、銅等の材料が入手困難となり廃業し、父は軍需工場に就職、中国に出兵の兄が戦死され、折井さんも学校を繰り上げ卒業し、海軍航空技術廠の射撃部に就職し、試作工場で部品の試作をした後、海軍工員養成所で勉強もしました。その後、横須賀海兵団に入団してからの新兵教育は厳しいもので、「精神棒」で思い切りお尻を叩かれたり「お神輿」「ぶら下がり罰」「鴬の谷渡り」「蜂の子罰」「食事抜き」(詳細省略)等の刑罰や手旗信号の訓練も出来なければ食事ができませんでした。その後、本当の海軍軍人になる召集令状を貰ったが、軍艦にも乗らず、鉄砲も撃ったことはありませんでしたが、空襲は何度も経験し、電車が不通となり、東京から上野間や、東京から南千住間は積雪や、空襲による大火災の真っ暗な夜道を歩かされましたが、何といっても3月10日の東京大空襲はひどかったし、実際に体験した焼夷弾による空襲時の恐ろしかったことは、今でも鮮明に覚えておられます。横須賀海兵団での軍人らしい体験は、辻堂の海岸での演習での「蛸壷《たこつぼ》作戦」(内容省略)は正に人命軽視の特攻作戦でありました。そうして迎えた8月15日の終戦の放送を聞き「これで生きられる」との思い出で一杯でした。
最後に戦争を知らない人たちへのメッセージは、悲しい戦争を繰り返さないよう主権在民の平和国家を続けて下さいとのことです。
(聞き手 川口 博 昭和2《1927》年生)
注 徴用=国家が国民を強制的に動員し一定の業務につかせる
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編集者 (代理投稿)