『肉声史』 戦争を語る (67)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
「帰国ご苦労様 の横断幕にただ涙」
小田原市 佐藤 時野(大正13《1924》年生)
(あらすじ)
単身外地へ行っていて病気になっても医者に見てもらえない。 肋膜《ろくまく》と腹膜と腎臓《じんぞう》が悪かったが満鉄病院に行ったのは8月13日で終戦2日前。寝ていてはダメだったので繕《つくろ》い物をしていた。
終戦で坊主頭になって逃げなきやならなくなった。引率の女先生に逃げる時のかばんに生理帯を入れていいですかと聞くと「そんなもの緊張すればなくなります」。いざ逃げる時には両ポケットに炒り豆が入ってただけ。他は何も持って逃げれなかった。病気でも必死について行った。
夜間、公主領に向かった。公主領では醤油倉庫に入れられて「明日ソ連兵に検査される」と。赤い着物は女性だとわかるから捨ててきたが、妹が編んでくれた紫色のセーター1枚だけは冬を越せないからと持っていたのでビクビクした。ところが検査はなく、80人位が10人程に分かれて鉄道官舎に入った。
表には×を書いて、「山」「川」の合図でしか開けなかった。
昭和21年の9月に帰国。博多で「ご苦労様」の横断幕を見たら涙がポロポロ出た。船の上では缶にコーリャン、芋のつる、鰯《いわし》がご飯。妊娠6ケ月の体だった。帰国するとすでに母は亡くなっており、親不孝だったなあと後悔した。
外地へ行くきっかけは、村の女子青年団長の先生が両親もよく知っている方で、毎日「行ってください」と頼まれたからである。女でも国の為に行かねばという気になって行った。振り返れば外地へ行ったのは昭和20年4月。そこで結婚をしたのだった。
(お話を聞いて)
佐藤時野さんのお話を聞いて、今まで戦争をニュースや教科書などでしか知らなかった私はいかに戦争というものの実態に対して無知だったかを思い知らされた。佐藤さんは、満州の公主領市にある農場に昭和20年4月に向かった。冬は零下20度ににもなるこの地から、当初は半年で帰る予定だった所、終戦後に約一年もの間、ソ連軍から逃げまどって行軍していたという。
病気にかかっても病院に薬もなく、作業させられ、あげくに着のみ着のまま逃げ歩いたという話には言葉も出なかった。特に、佐藤さんは女性であったため、ソ連軍に見つかって連れて行かれたり、乱暴されたりするのではないかと、倉庫の中でびくびくしておられ、そのときの気持ちは想像出来ないほど辛いものであっただろう。
1年後、やっとの思いで帰国し、「ご苦労様」という横断幕を見た時は涙が出たという。だが、ようやく帰ってきた故郷で待っていたのは、母親が亡くなったという知らせ。なんと言う親不幸者かと自分を責めたという。佐藤さんは何も悪いことをしたわけでもないのに、このような気持ちにさせられた。今まで戦争というと、出兵して命を落としたり、空襲を受けて町が焼かれたりといったことしか想像できなかったが、こんな形で悲しみを負う方もいたなんて、とショックをうけた。
最後に佐藤さんは、今幸せに生きていることが幸せ、とおっしゃった。普段私たちが当たり前だと思っていることが、実は平和な世の中の上に成り立っているということを再認識させられる言葉だった。そして、やはり戦争は絶対にしてはいけない、とおっしゃった。
実際に戦争で苦労した方の言葉なだけに、大変な重みを感じた。私たちは、戦争を乗り越え、平和な世の中を築いてきた世代に感謝するとともに、今後もわが国を戦争する国にして過去の過ちを再び犯すようなことのないようにしなければならない。
(聞き手 伊藤聡士 昭和55《1980》年)生まれ
小田原市 佐藤 時野(大正13《1924》年生)
(あらすじ)
単身外地へ行っていて病気になっても医者に見てもらえない。 肋膜《ろくまく》と腹膜と腎臓《じんぞう》が悪かったが満鉄病院に行ったのは8月13日で終戦2日前。寝ていてはダメだったので繕《つくろ》い物をしていた。
終戦で坊主頭になって逃げなきやならなくなった。引率の女先生に逃げる時のかばんに生理帯を入れていいですかと聞くと「そんなもの緊張すればなくなります」。いざ逃げる時には両ポケットに炒り豆が入ってただけ。他は何も持って逃げれなかった。病気でも必死について行った。
夜間、公主領に向かった。公主領では醤油倉庫に入れられて「明日ソ連兵に検査される」と。赤い着物は女性だとわかるから捨ててきたが、妹が編んでくれた紫色のセーター1枚だけは冬を越せないからと持っていたのでビクビクした。ところが検査はなく、80人位が10人程に分かれて鉄道官舎に入った。
表には×を書いて、「山」「川」の合図でしか開けなかった。
昭和21年の9月に帰国。博多で「ご苦労様」の横断幕を見たら涙がポロポロ出た。船の上では缶にコーリャン、芋のつる、鰯《いわし》がご飯。妊娠6ケ月の体だった。帰国するとすでに母は亡くなっており、親不孝だったなあと後悔した。
外地へ行くきっかけは、村の女子青年団長の先生が両親もよく知っている方で、毎日「行ってください」と頼まれたからである。女でも国の為に行かねばという気になって行った。振り返れば外地へ行ったのは昭和20年4月。そこで結婚をしたのだった。
(お話を聞いて)
佐藤時野さんのお話を聞いて、今まで戦争をニュースや教科書などでしか知らなかった私はいかに戦争というものの実態に対して無知だったかを思い知らされた。佐藤さんは、満州の公主領市にある農場に昭和20年4月に向かった。冬は零下20度ににもなるこの地から、当初は半年で帰る予定だった所、終戦後に約一年もの間、ソ連軍から逃げまどって行軍していたという。
病気にかかっても病院に薬もなく、作業させられ、あげくに着のみ着のまま逃げ歩いたという話には言葉も出なかった。特に、佐藤さんは女性であったため、ソ連軍に見つかって連れて行かれたり、乱暴されたりするのではないかと、倉庫の中でびくびくしておられ、そのときの気持ちは想像出来ないほど辛いものであっただろう。
1年後、やっとの思いで帰国し、「ご苦労様」という横断幕を見た時は涙が出たという。だが、ようやく帰ってきた故郷で待っていたのは、母親が亡くなったという知らせ。なんと言う親不幸者かと自分を責めたという。佐藤さんは何も悪いことをしたわけでもないのに、このような気持ちにさせられた。今まで戦争というと、出兵して命を落としたり、空襲を受けて町が焼かれたりといったことしか想像できなかったが、こんな形で悲しみを負う方もいたなんて、とショックをうけた。
最後に佐藤さんは、今幸せに生きていることが幸せ、とおっしゃった。普段私たちが当たり前だと思っていることが、実は平和な世の中の上に成り立っているということを再認識させられる言葉だった。そして、やはり戦争は絶対にしてはいけない、とおっしゃった。
実際に戦争で苦労した方の言葉なだけに、大変な重みを感じた。私たちは、戦争を乗り越え、平和な世の中を築いてきた世代に感謝するとともに、今後もわが国を戦争する国にして過去の過ちを再び犯すようなことのないようにしなければならない。
(聞き手 伊藤聡士 昭和55《1980》年)生まれ
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編集者 (代理投稿)