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『肉声史』 戦争を語る (50)

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通常 『肉声史』 戦争を語る (50)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/10/2 7:36
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
(お話を聞いて)

 自分の伯父が戦争中樺太にいて、数年間シベリアに拘留されて帰還しただけは知っていましたが、実際に本人から話を聞くのは初めてで、つらい体験を聞くのかと、少々気が重く感じていました。
 しかし、初年兵時にはしごきやいじめは?との質問には、「まあ、いやな思いもだいぶしたな、人権も何もなかったな」とだけしか語られませんでした。
 準備しておいてくださった写真や資料を見ながら語る口調は思い出の青春の1ページという雰囲気で、学校時代や教官時代が戦争中でありながら充実していたことが伺えました。
 戦後60年を経て、自分自身の中ではすっかり消化されていたのか、それとも本人の性格か、とても軽い口調だったので、かえって、いまさら人にはいえない辛い体験がたくさんあっただろうと想像できました。
 さて、私は幼少時、両親が共働きだったため日中は自営業の伯父宅に預けられていました。ある時、食べきれない量のお代わりをねだったにもかかわらず残してしまい、伯父にひどくしかられたことがあります。それ以来、出された食事は残さず食べること、自分で食べられそうな量を考えることが身につきましたが、当時は、しかられた理由がよく理解できませんでした。
 今回、拘留中の最もつらかったことは、寒さと、食べるものが充分になく毎日ひもじかったことだ、という話を聞き、日ごろは穏やかな伯父が烈火《=激しく燃える火》のごとく怒り、迎えにきた私の母に対しても厳しく注意していた様子が思い出され、怒った理由が拘留中の体験にあったのだと初めて気がつきました。
 これまでは、食事を残さない理由は単に「いけないことだ」という認識しかありませんでしたが、今後は私の中にも伯父の戦争体験があることを忘れずにいたいと思いました。

 (聞き手 井上 充恵  昭和39《1964》年生)

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編集者 (代理投稿)

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