『肉声史』 戦争を語る (19)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
「石炭の山に隠れて難を逃る」
平塚市 笠原八十郎(大正5《1916》年生)
(あらすじ)
昭和13年に22歳で金沢第9師団へ入隊。私は輜重兵《しちょうへい=軍需品の輸送・補給にあたる兵》だった。訓練は厳しく、裸馬に乗せられて尻の皮が剥《む》けた。消灯後、腫《は》れた尻を雪で冷やした。馬の世話、軍刀、靴の手入れで、少しでも不備かあると怒られる。ある時、雪の中練習して帰ると馬の蹄鉄が無い。探しても無くて、しこたま怒られた。同郷の上等兵がとりなしてくれて肋かった。 6ヶ月後、中国の漢ロヘ。配属は露州団第11輸送監視隊。仕事は師団司令部の輸送と警備だった。昭和15年10月に帰国。翌年2月会社に復職。転勤で上海へ。上海の日本租界には10万人の日本人が住んでいた。戦争に突入したが平穏だった。昭和17年秋、安徽省に出張で行き、工場の2階に泊まった。壁に弾の音がして外へ出てみたら真っ赤に燃えていた。
何か何だか分らず、大きな中国人達がじっと私を見ている中、通訳
が石炭へもぐれと言うので、朝まで隠れていた。日本の守備隊が掃
討《そうとうせん=敵をすっかり払い除く》戦に出た後狙《ねら》われたらしい。結婚の為に18年帰国したが、すぐ戻った。昭和20年7月には上海の工場が爆撃された。終戦で現地の従業員が給料と退職金をくれと押しかけて来て私は3日間拘束された。その後も自宅まで押しかけられ怖かった。
それから約40家族が集められてキャンプの集中生活に入った。
情報もなくいつ帰れるか分らなかったが、半年後の3月に帰国し
た。当時は愛国心が強かった。海外でも皆自国を背負っていた。軍
隊の苦労に耐えられたらどんなことでも乗り越えられる。
(お話を聞いて)
3人の方にお話を聞かせていただきましたが、どなたもどんな状
況に遭っても“前向きに生きる”、常に未来にしっかり気持ちを向
けて生きてこられたご様子をうかがわせて頂いて元気をいただきま
した。お話の最後に戦争を知らない世代へのメッセージをお願いし
たところ、まとめてしまうのはもったいないそ江ぞ江の熱い思いを
いただきましたので、下記に記させていただきます。
(笠原さんのお話を聞いて)
まず、最初の笠原様のお話を間いていて、私白身も今も世界で起
きている戦争に無関心あったことを思い知らされました。軍隊に入
り初年兵時代に
一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
一、軍人は礼儀を正しくすべし
一、軍人は武勇を重んずべし
一、軍人は信義を重んずべし
一、軍人は質素を旨とすべし
という軍人勅諭《天皇の下した告喩、勅語とは異なる》や歩兵操典《そうてん=戦闘原則及び法則を規定した教則書》など暗記するのに消灯ラッパが鳴るとベッドの毛布をかぶって、懐中電気で一心不乱に読み暗記したこと、また、夕食の時、勅語を覚えていない者の食事は後回しだったこと。そして、入隊6ヶ月後に中支那派遣軍の漢口輸送司令部、湯原中将の第12輸送監視隊(将校8名、下士官34名、兵40
名の82名の編成)に配属され、長沙作戦参加、15年10月召集解除。金沢連隊に入った同期生の殆んどは支那事変、日米戦争と二度の従軍、戦後消息音信絶えてない・・・
という軍隊での生活、その後の上海で九死に一生を得たこと、結婚
後乳飲み子を抱えての引き上げ船の中での生活など、今から60年
も前の話とは思えない、つい昨日あったことのようなお話ぶりに話
はつきませんでした。
メッセージとして、戦争とは関孫なく国を愛する心”「愛国心」
を特って欲しいと言われました。その言葉に込められた思いをしっ
かりと受け止め伝えて生きたいと思います。
平塚市 笠原八十郎(大正5《1916》年生)
(あらすじ)
昭和13年に22歳で金沢第9師団へ入隊。私は輜重兵《しちょうへい=軍需品の輸送・補給にあたる兵》だった。訓練は厳しく、裸馬に乗せられて尻の皮が剥《む》けた。消灯後、腫《は》れた尻を雪で冷やした。馬の世話、軍刀、靴の手入れで、少しでも不備かあると怒られる。ある時、雪の中練習して帰ると馬の蹄鉄が無い。探しても無くて、しこたま怒られた。同郷の上等兵がとりなしてくれて肋かった。 6ヶ月後、中国の漢ロヘ。配属は露州団第11輸送監視隊。仕事は師団司令部の輸送と警備だった。昭和15年10月に帰国。翌年2月会社に復職。転勤で上海へ。上海の日本租界には10万人の日本人が住んでいた。戦争に突入したが平穏だった。昭和17年秋、安徽省に出張で行き、工場の2階に泊まった。壁に弾の音がして外へ出てみたら真っ赤に燃えていた。
何か何だか分らず、大きな中国人達がじっと私を見ている中、通訳
が石炭へもぐれと言うので、朝まで隠れていた。日本の守備隊が掃
討《そうとうせん=敵をすっかり払い除く》戦に出た後狙《ねら》われたらしい。結婚の為に18年帰国したが、すぐ戻った。昭和20年7月には上海の工場が爆撃された。終戦で現地の従業員が給料と退職金をくれと押しかけて来て私は3日間拘束された。その後も自宅まで押しかけられ怖かった。
それから約40家族が集められてキャンプの集中生活に入った。
情報もなくいつ帰れるか分らなかったが、半年後の3月に帰国し
た。当時は愛国心が強かった。海外でも皆自国を背負っていた。軍
隊の苦労に耐えられたらどんなことでも乗り越えられる。
(お話を聞いて)
3人の方にお話を聞かせていただきましたが、どなたもどんな状
況に遭っても“前向きに生きる”、常に未来にしっかり気持ちを向
けて生きてこられたご様子をうかがわせて頂いて元気をいただきま
した。お話の最後に戦争を知らない世代へのメッセージをお願いし
たところ、まとめてしまうのはもったいないそ江ぞ江の熱い思いを
いただきましたので、下記に記させていただきます。
(笠原さんのお話を聞いて)
まず、最初の笠原様のお話を間いていて、私白身も今も世界で起
きている戦争に無関心あったことを思い知らされました。軍隊に入
り初年兵時代に
一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
一、軍人は礼儀を正しくすべし
一、軍人は武勇を重んずべし
一、軍人は信義を重んずべし
一、軍人は質素を旨とすべし
という軍人勅諭《天皇の下した告喩、勅語とは異なる》や歩兵操典《そうてん=戦闘原則及び法則を規定した教則書》など暗記するのに消灯ラッパが鳴るとベッドの毛布をかぶって、懐中電気で一心不乱に読み暗記したこと、また、夕食の時、勅語を覚えていない者の食事は後回しだったこと。そして、入隊6ヶ月後に中支那派遣軍の漢口輸送司令部、湯原中将の第12輸送監視隊(将校8名、下士官34名、兵40
名の82名の編成)に配属され、長沙作戦参加、15年10月召集解除。金沢連隊に入った同期生の殆んどは支那事変、日米戦争と二度の従軍、戦後消息音信絶えてない・・・
という軍隊での生活、その後の上海で九死に一生を得たこと、結婚
後乳飲み子を抱えての引き上げ船の中での生活など、今から60年
も前の話とは思えない、つい昨日あったことのようなお話ぶりに話
はつきませんでした。
メッセージとして、戦争とは関孫なく国を愛する心”「愛国心」
を特って欲しいと言われました。その言葉に込められた思いをしっ
かりと受け止め伝えて生きたいと思います。
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編集者 (代理投稿)