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『肉声史』 戦争を語る (15)

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通常 『肉声史』 戦争を語る (15)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/8/17 7:12
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 「戦地で見る月、故郷への想い」

 三浦市 小林 三郎(大正8《1916》年生まれ)

 (あらすじ)〕

 陸軍の自動車隊で中国東北部に行く。弾を打ち合うということはなかった。自動車隊は薬、食料、日用品を運搬する。道路は敵の妨害で穴があき、車のスプリングは折れるなど大変であった。 約3年間働いた。水の中で車がエンコし、また、坂道でブレーキが効かず生きた心地がしなかったこともある。たまの楽しみは連隊本部での演芸会。相撲の興行もあった。歩哨《ほしょう》に立ち月を見る時、故郷の父母を思い出していた。
 一時日本に帰り、再びトラック諸島へ。国のためならという気持ちが常にあった。さらにパラオ《=北西太平洋.ミクロネシアにある》に。ここでは、連日空襲。その時、危機一髪で命が肋かったこともあった。その後運よく帰国。自分の命を救ったのは、自分だけよければよいという気持ちでなく共存共栄の精神があっだからこそと思っている。

 (お話を聞いて)

  私の祖父も戦争で徴集《=強制的に人をあつめる》されましたが、内地に勤務をしてさほど空襲にもあわなかったと間いていましたが、小林さんのお話はまさに、命がけでした。中国大陸で輸送部隊にいた際の険しい行程と過酷な任務。トラック《=西太平洋、ミクロネシアにある》諸島やパラオで紙一重の差で命を拾った事。
 軍機の激しい空襲や機銃掃射、潜水艦の魚雷《=魚型水雷の略》攻撃など、私には映画の世界のできごとであったことを、実際に60年以上前に体験し生死の狭間《はざま》で戦い生き残った方が日の前にいることが、驚きでした。戦後60年がたち、戦時中のお話をうかがう機会、今後ますます難しくなる中、戦争中の恐ろしさを生の声で聞くことができたことは本当に貴重な体験でした。戦争のない日常が当たり前であった私には、今の世の中がどれだけ幸せな世界であったことかと考えるきっかけとなりました。それもこれも、小林さんのような方々が懸命に生きたからこそ今の日本が掴《つか》み得た平和なのだと感じました。
 最後に小林さんは、戦争を知らない私達世代に、「自分の幸ばかりを考えず、人のことを思いやる気持ちを大切に・・・」というお話をされました。一人一人が、その気持ちを持つ事がこの国のために生きた方々に報いる事と感じました。

 聞き手  福田 正雄 (昭和44年生)

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編集者 (代理投稿)

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