『肉声史』 戦争を語る (36)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
「トンネルを掘り備える、アメリカ兵上陸」
二宮町 柳川 賢二(大正4《1915》年生)
(あらすじ)
私は満州事変《=注》の5年後に満州へ砲兵として行った。昭和11年4月に世田谷を出て宇品《うじな=広島県》から乗船、大連からチチハルへ。すでに戦闘はなかったが、そこで毎日訓練した。翌年12月に北孫呉へ移動。 アムール川の国境で対岸がソ連領という土地柄、いつでも戦争できるように警備に当たっていた。マイナス35度の土地だった。 昭和13年には軍縮で師団の編成が変わり、3月に名古屋で第15師団の編成、私は砲兵21連隊に。8月には上海へ渡った。玄界灘で大台風に遭い、危ない目にあった。上海から南京へ。蒋介石《しょうかいせき》の幹部候補生養成の学校の警備に当たった。昭和14年12月に南京から帰国。4年間の現役で戦闘経験はない。再び満州で大演習すると昭和16年に砲兵28師団としてハルビンに召集された。そこは日露戦争時のレンガ作りの兵舎だった。
昭和18年大東亜《=太平洋》戦争に突入した。昭和19年チチハルへ部隊が移住、8月にはチチハルから宮古島《=沖縄県》へ。多くの軍隊が宮古島に集まってきた。さつま芋が主食だったが、食糧はなかった。芋の葉を煮て、米が少し浮いている状態の食事が、飯食1杯で3人の3食分だった。小高い丘に松林があり、トンネルを掘ってアメリカ軍の上陸に備えた。昭和20年3月に硫黄島《いおう島=鹿児島県大隈諸島》が落ちてから、日曜以外毎日爆撃があった。
終戦は9月半ばに知った。10月にはアメリカ軍の作業援助へ行き、大量のブルドーザーを見て、竹やりで戦えと言っていた政府に不信感を募らせた。捕虜まで入れて9年5ケ月、3つの戦争に参加して感じたことは、政治不信感。独立国家として軍事力持つことも必要だという信念も持っている。
(お話を聞いて)
柳川賢二さんのお話を聞いて・・・「よくきたね」と快く受け入れて頂き、90歳というご高齢にもかかわらず、お元気で力強くお話をして下さいました。
年月日も克明に記憶され、いつどこで何があったのか話される姿に、ただ驚くばかりでした。忘れたいはずの戦争と思っていたのは間違いだったのかもしれません。忘れたくても忘れられない体験は約一時間という時間では足らないものでした。そこには地図や写真などの資料も用意されていて、戦争を二度と起こしてはいけないという思いが力強く感じました。
戦争の話を身近で聞くことの出来なかった私とって、とても貴重な時間となりました。
と同時にこの貴重な体験を残していかなければいけないと思いました。
(聞き手 清水栄子 昭和38《1955》年生)
注 満州事変=1931年鉄道爆破事件を契機し後日中戦争へ発展する
二宮町 柳川 賢二(大正4《1915》年生)
(あらすじ)
私は満州事変《=注》の5年後に満州へ砲兵として行った。昭和11年4月に世田谷を出て宇品《うじな=広島県》から乗船、大連からチチハルへ。すでに戦闘はなかったが、そこで毎日訓練した。翌年12月に北孫呉へ移動。 アムール川の国境で対岸がソ連領という土地柄、いつでも戦争できるように警備に当たっていた。マイナス35度の土地だった。 昭和13年には軍縮で師団の編成が変わり、3月に名古屋で第15師団の編成、私は砲兵21連隊に。8月には上海へ渡った。玄界灘で大台風に遭い、危ない目にあった。上海から南京へ。蒋介石《しょうかいせき》の幹部候補生養成の学校の警備に当たった。昭和14年12月に南京から帰国。4年間の現役で戦闘経験はない。再び満州で大演習すると昭和16年に砲兵28師団としてハルビンに召集された。そこは日露戦争時のレンガ作りの兵舎だった。
昭和18年大東亜《=太平洋》戦争に突入した。昭和19年チチハルへ部隊が移住、8月にはチチハルから宮古島《=沖縄県》へ。多くの軍隊が宮古島に集まってきた。さつま芋が主食だったが、食糧はなかった。芋の葉を煮て、米が少し浮いている状態の食事が、飯食1杯で3人の3食分だった。小高い丘に松林があり、トンネルを掘ってアメリカ軍の上陸に備えた。昭和20年3月に硫黄島《いおう島=鹿児島県大隈諸島》が落ちてから、日曜以外毎日爆撃があった。
終戦は9月半ばに知った。10月にはアメリカ軍の作業援助へ行き、大量のブルドーザーを見て、竹やりで戦えと言っていた政府に不信感を募らせた。捕虜まで入れて9年5ケ月、3つの戦争に参加して感じたことは、政治不信感。独立国家として軍事力持つことも必要だという信念も持っている。
(お話を聞いて)
柳川賢二さんのお話を聞いて・・・「よくきたね」と快く受け入れて頂き、90歳というご高齢にもかかわらず、お元気で力強くお話をして下さいました。
年月日も克明に記憶され、いつどこで何があったのか話される姿に、ただ驚くばかりでした。忘れたいはずの戦争と思っていたのは間違いだったのかもしれません。忘れたくても忘れられない体験は約一時間という時間では足らないものでした。そこには地図や写真などの資料も用意されていて、戦争を二度と起こしてはいけないという思いが力強く感じました。
戦争の話を身近で聞くことの出来なかった私とって、とても貴重な時間となりました。
と同時にこの貴重な体験を残していかなければいけないと思いました。
(聞き手 清水栄子 昭和38《1955》年生)
注 満州事変=1931年鉄道爆破事件を契機し後日中戦争へ発展する
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編集者 (代理投稿)