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『肉声史』 戦争を語る (42)

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通常 『肉声史』 戦争を語る (42)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/9/24 7:48
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 「軍隊の生活が人間形成に」

 綾瀬市 守矢 保(大正10《1921》年生)

 (あらすじ)

 昭和16《1941》年召集で、真珠湾攻撃《注1》の1ケ月後に入隊。騎兵の14連隊の4中隊に入った。戦争は当事国にとってはいつでも聖戦《=神聖な目的のための戦争》。今でも私はあの戦争は聖戦だった思っている。当時は1日も早く戦争に行きたいと思っていた。包頭《パオトウ=ウチモンゴルの自治区》から100km先のアンポクという強烈に寒い所に行った。鼻毛も睫毛《まつげ》も凍った。
 洛陽《らくよう=中国河南省の都市》の攻撃をして昭和20年12月3日か4日に帰ってきた。所属は騎兵14連隊だったが、私が行った時には馬は無く、自動車や戦車ばかりで装備はよかった。私は軍隊生活が性に合っていて楽しい思い出が多いが、何かにつけてたこ(ビンタ)だった。同年兵は助け合いだと文字通り叩き込まれた。小中隊長の戦死で古年兵が指揮を執ることもあった。日頃から上官の考えを洞察《どうさつ=見抜く》しておかないとすぐ隊をまとめられなくて困ると知った。部下の面倒をよく見る上官の部隊は強くなった。私の人間形成の上で為になった。いまだに兵隊仲間とは交流がある。河南省で終戦を迎えた。絶対負けないと確信していた。そういう教育を受けていたから。    
 戦争はやるもんじゃない、一般人が一番ひどい目に遭うから。部隊では「焼かず、犯さず、殺さず」と絶えず言われていた。墓の木は絶対切ってはダメ、部落へ行っても家畜殺すな等。連隊長によく興亜植樹の歌を歌わされた。「蒙古の荒涼たる所だから心がすさんで戦争になる。ここが緑になると戦争は終わる」と包頭の町に街路樹を部隊で植えた。トラックで水を汲んできて、皆で世話もした。指揮執る人の影響は大きい。手柄一筋でやったのとは大違いだった。

 (お話を聞いて)

 守屋様から、入隊当時の様子と陸軍騎兵聯隊第14連隊に入られてからの様々の実践を通し、上官や仲間のものとの係わりをもつ中で、ご自身が体験されたことを基軸とし、そこでつかまれた(培われた)人生観を踏まえて、今日ある日本の姿や今後に向けての願いをしんしんと提起されたように感じた。
 以上、戦争体験の話を聞かせて頂いて、特に感じたことは、「軍隊という所は、一口に厳しい所だと言われているが、人間は若いときに身に付けたこと(厳しさ)は、将来に向けての人間形成に役立っていくものである。それを受けてきたことを誇りに思って今を生きているんですよ」といわれた言葉と、「戦争っていうのはあってはならない!と思っているが、当事者(国)にするとどの国も聖戦と思っているし、間違っているのはお前さんの方だよ!と思ってしまうものなんだ!!」と繰り返し強調された言葉が心に強く響きました。
 私は、心身投げうって日本を支えてくださった先輩方に頭を下げ、本日聞かせていただいた言葉にしっかりした気持ちを持って日々健康で過ごせることに感謝しながらできることに励んで生きたいと思いました。      

 (聞き手 見上健一 昭和4《1929》年生)

注1 真珠湾攻撃=12月8日、日本海軍がおこなった航空攻撃により 太平洋戦争勃発 

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編集者 (代理投稿)

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